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2020

2020秋 戦国を歩く 12.刈谷城








刈屋城01
[刈谷城]
愛知県刈谷市


天文2年(1533年) 水野忠政による築城。 忠政の娘・於大が松平広忠に嫁き生まれたのが徳川家康。
             忠政の跡を継いだ信元は織田氏と結んだ為、広忠は於大を離縁。
永禄3年(1560年) 桶狭間合戦の際、信元は緒川城へ入り、刈谷城は弟・信近が守将に。
             今川義元横死を受けて鳴海城の岡部長教に攻められ落城し信近は討死。しかし信元はすぐさま奪還
天正3年(1575年) 佐久間信盛の讒言により、武田方への内通を疑われた水野信元は家康によって殺害。刈谷城は佐久間信盛が入った。
天正8年(1580年) 佐久間信盛は織田信長によって追放、信元の末弟・水野忠重が城主に。
慶長5年(1600年) 忠重が不慮の死を遂げ、勝成が跡を継ぐ(3万石)。 この勝成の代で近世城郭に大改修。

元和1年(1615年) 水野勝成           → 大和郡山6万石
元和2年(1616年) 水野忠清  上野小幡 → 2万石
寛永9年(1632年)     〃        → 三河吉田4万石
寛永9年(1632年) 深溝松平忠房  三河吉田3万石 → 3万石
慶安2年(1649年)   〃                   →丹波福知山4万5千石
慶安2年(1649年) 久松松平定政  伊勢長島1万石 → 2万石
慶安4年(1651年) 定政・定知父子は徳川家光没に際して、出家・領地返上する旨提出し、定政発狂扱いで除封。
慶安4年(1651年) 稲垣重綱 越後三条2万3千石 →  2万3千石
元禄15年(1702年) 稲垣重富              → 上総大多喜1万5千石
元禄15年(1702年) 阿部正春 上総国大多喜1万6千石 →1万6千石
宝永7年(1710年) 阿部正鎮                   → 上総佐貫1万6千石
宝永7年(1710年) 本多忠良 越後村上5万石 → 5万石
正徳2年(1712年)   〃               → 下総古河5万石
正徳2年(1712年) 三浦明敬 日向延岡2万3千石 → 2万3千石
延享4年(1747年) 三浦義理                → 三河西尾2万3千石
延享4年(1747年) 土井利信 三河西尾2万3千石 → 2万3千石
以降9代で維新へ。

水堀と土塁で囲まれた本丸部分が現存なものの、石垣は元々あった石で組みなおした可能性大。
櫓・多聞櫓・石垣・城門を順次復元するそうで、最終的には復元天守まで行くらしい。


車走らせていて、本当にトヨタ自動車の町だなぁと。

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