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2019
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ピータールー マンチェスターの悲劇
CATEGORY映画-欧州

ナポレオン戦争が終結した数年後の1819年、英国では貧困問題が深刻化していた。
8月、数万人規模の民衆がマンチェスターのセント・ピーターズ広場に集結し、自分たちの権利を平和的に主張しようとする。
そこに騎兵隊と軍隊が突入して、多くの人命が失われ、多数の負傷者が出る。
ウォータールー(仏読/ワーテルロー)の戦いを持って20年に渡るナポレオン戦争が終結した。
辛くも生き延びた青年兵ジョゼフは軍服のまま故郷マンチェスターに辿り着いた。
傷心癒えぬまま職を探すが町に仕事は無かった。
不景気に加えて高い税金、更に議員=地主優遇の法律と政治が優先していた。
このため、選挙権のない労働者階級の不満は頂点に達していた。
北部民衆の不穏な情報を受けた政府は、ナポレオン戦争で頭角を現したピング将軍を北部司令官に任命する。
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1819年8月16日 マンチェスターのピーターズ広場でカリスマ人気を誇る活動家ヘンリー・ハントを招聘しての民主集会。
主催者は為政者を刺激しないように武器、及び農具の携行を禁止した。―― あくまでも平和的な集会にしたいから。
それに民衆も従い、広場には6万人が集まった。
ハントの演説で熱気が最高潮に達した時、サーベルを持った義勇騎兵団、続いて騎兵連隊が広場に突入、虐殺が始まった。
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4年前のウォータールーの戦いと皮肉な対比を成すものとして「ピータールー」と名付けられることになった歴史的事件の映像化。
集会を企画した活動家、運動家は全て有罪となり、軍隊側は全員無罪の上、皇太子ジョージ4世から謝意が伝達されたと云う。
EU離脱に揺れるイギリスですが上院議会なんか見る限り、この頃から何も変わってないんじゃないかと。
階級意識と格差はそのままな上、移民も増えて増大したマイノリティに対する脅威論は肥大化する一方。
歴史的背景からイギリスを学ぶのに格好な作品かな。
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