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26
2019

ぐるっと中国 ~ 16 . 備中松山城 壱








備中松山城10
[備中松山城]
(日本100名城-68番)   所要時間80分  

臥牛山山頂(標高430メートル比高360メートル) 現存天守では最高所

1240年 地頭 秋葉重信による築城が最初
1331年 高橋九郎により、現在地(小松山)に城郭拡張
1335年 高師秀 入城   / 高師直一族
1362年 秋葉重明 入城    / 高師秀は備前追放
1504年 上野頼久 入城    / 上野氏は大内氏傘下
1533年 庄為資 入城  / 庄氏は尼子氏配下 上野氏滅亡
1566年 三村家親 入城  / 三村毛利連合軍により庄氏滅亡
1575年 毛利家 入城  /備中兵乱で三村氏滅亡
城主がことごとく滅亡する・・・・まぁ中世は大して整備された城郭ではなかったのか。

1600年 小堀正次  天領代官 (1万4千石)
1617年 小堀正一           → 近江小室 1万2460石  
1619年 池田長幸 因幡鳥取6万石 → 6万5千石   / 城郭ほぼ完成
1641年 池田長常 無嗣断絶                 / のちに1000石旗本
1641年 福山藩預かり
1642年 水谷勝隆 備中成羽5万石 → 5万石      / 城郭大改修 城下町大整備
1693年 水谷勝美 無嗣断絶                 / 3000石旗本
1694年 赤穂藩預かり                     / 大石内蔵助が1年半城番
1695年 安藤重博 上野高崎6万5千石 → 6万5千石
1711年 安藤信友               → 美濃加納6万5千石
1711年 石川総慶 山城淀6万石 → 6万石
1744年 石川総慶           →伊勢亀山5万石
1744年 板倉勝澄 伊勢亀山5万石 → 5万石
以降8代で維新 / 戊辰戦争まで佐幕派で2万石に減封

備中松山城01 備中松山城02 備中松山城03
8時過ぎに城見橋公園に駐車、ふいご峠往復バス整理券(400円)購入して待ってたら登城客ぞろぞろ。
予定15分前にバス出発したお蔭で、9時ジャストに天守入城出来た。

備中松山城04 備中松山城05

備中松山城06 備中松山城07
大河「真田丸」オープニングで登場したのは備中松山城の石垣

備中松山城08 備中松山城09

備中松山城11
小藩でこの天守維持は大変だったでしょ。
明日に続きます。



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