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06
2019

2019 夏旅てくてく ~ 12.宇陀松山城








宇陀松山城01 宇陀松山城02 宇陀松山城03

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[宇陀松山城]  (続100名城-166)
南北朝時代 有力国人宇陀三将の一人、秋山氏が居城として古城山に山城を築いたのが始まりとされる。
秋山氏は伊勢神宮神戸社の神官職から土着した国人領主で、伊勢北畠氏麾下となって活動。
戦国中期に入ると北畠氏傘下を離れ独立勢力となり、当主秋山直国は滝川一益の婿となる。
筒井氏与力から蒲生氏郷与力となった時期、所領は豊臣秀長のものとなり、秋山直国は退去。
この後、伊藤義之・加藤光泰・羽田正親、多賀秀種らが入り、近代城郭に整備。

1600年 多賀秀種  改易

宇陀松山藩
1600年 福島高晴  伊勢長島1万石 → 3万石
1615年         改易   同年 廃城
1615年 織田信雄  新知5万石
1965年 織田信休          → 丹波柏原2万石
以後天領        
宇陀松山城07 宇陀松山城08
まちづくりセンター千軒舎横から中腹まではコンクリート歩道なんで割と短時間で山頂まで行けた。
宇陀松山城09 宇陀松山城10
大雨による土砂崩れで各所修復中らしい

宇陀松山城11 宇陀松山城12
宇陀松山城、大和郡山城、高取城の三城を大和国支配の要と考えたのが豊臣政権。
江戸時代に入ってもそれは変わらなかったっぽい。
宇陀松山城13 宇陀松山城14
未明まで雨、夏草に乗った水玉のお蔭で靴びしょ濡れ



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