FC2ブログ
15
2019

2019 上越越中歴史旅 ~ 7.放生津城








放生津城01
[放生津城]
鎌倉末期、越中国守護名越氏が置いた越中国守護所が始まり。
1333年、建武の新政に向かう争乱で、守護北条時有最後の地となった旨が太平記に記述される。

室町時代になると、守護畠山氏に代わり守護代神保氏の居城となり、明応2年(1493年)には明応の政変で幽閉された将軍足利義稙を迎えた。

永正17年(1520年)に長尾為景に攻められ落城。
その後再建されたものの、神保氏は富山城、守山城、増山城を居城とした。
江戸時代初期に廃城。
現在、遺構は小学校グラウンド地下2メートルの位置に有って、まぁ未来永劫、調査されることは無いんじゃないかと。

放生津城02
放生津橋欄干に足利義稙像
当地に5年余り滞在した足利義稙は、それなりの陣容を備えた事から、「越中御所」「放生津幕府」などと呼ばれた。
因みに足利義稙自身のあだ名は"流れ公方"(笑)。

放生津城03
何か洒落乙な橋




にほんブログ村 サッカーブログ ヴァンフォーレ甲府へ    人気ブログランキングへ

関連記事
スポンサーサイト

0 Comments

Leave a comment