FC2ブログ
05
2018

2018 秋の歴史旅 8 ~本佐倉城








本佐倉城01
関宿城から本佐倉城へは社会人新人時代に散々利用した16号線1択で、これが当然の大渋滞。
予定時間を大幅にオーバーした挙句、17時で閉館するスタンプ設置場所の中央公民館探すのに手間取って時間ロス。
因みに単独の建物かと思った公民館は酒々井役場庁舎の中に有って、パンフレット関係は実に充実していた。

更に城までの道路が最悪。
カーナビが最初に示したルートはエクストレイルでは到底無理な車幅で、次のルートも削り出し農道で雑草に削られまくり。
駐車場到着したら17時直前、駆け足での見学。

[ 本佐倉城 ]  (続100名城-121番)
文明年間(1469年~1487年)頃に千葉輔胤によって築かれた説が有力。
この千葉輔胤は千葉氏庶流馬加(まくわり)氏の出身で、千葉宗家を滅ぼして千葉氏を名乗った。
千葉輔胤は古河公方と組んで下総を平定した事から、亥鼻城より内陸の当地を選んで築城したと考えられている。

戦国時代、佐竹氏と里見氏の圧迫抗し切れず、後北条氏と婚姻関係を結び傘下へ。
1590年 小田原征伐で改易、本佐倉城は麓に陣屋が置かれた。
1593年 武田信吉4万石
1602年   〃      → 水戸15万石
1602年 松平忠輝5万石
1603年   〃      → 川中島14万石
1606年 小笠原吉次  犬山 →2万2千石
1608年   〃           → 笠間3万石 
1610年 土井利勝  小見川1万石 → 3万2千石
1615年 佐倉城完成に伴い、本佐倉城は破壊棄却
本佐倉城02 本佐倉城03

本佐倉城04 本佐倉城05

本佐倉城06 本佐倉城07

本佐倉城08 本佐倉城09
土塁、空堀等の遺構が完全に残されている上、気合いの入った案内板の数々。
建造物復元を期待される訳ね。
本佐倉城10
晴れていれば筑波山。




にほんブログ村 サッカーブログ ヴァンフォーレ甲府へ    人気ブログランキングへ
関連記事
スポンサーサイト

0 Comments

Leave a comment