FC2ブログ
27
2018

2018 夏のプチ歴史旅 3 ~ 古宮城 + 三河亀山城 








カーナビで表示された《 岩村城 → 古宮城ルート 》の7割が狭隘道路 ―― すれ違いギリギリだったり、どちらかが待機したり。、ついでに崖崩れによる迂回も数回余儀なくされたりで、結構ストレスの掛かる運転でした。

301号線から436号線に左折してすぐに古宮城址。
道路挟んで向かいが駐車場。

古宮城00
[ 古宮城 ] (続100名城-150番)

非常に史料が乏しいため古宮城の築城から廃城に到る過程は不明。
元亀2年(1571年) 武田氏の圧迫を受けた山家三方衆(田峯菅沼・長篠管沼・作手奥平)が徳川から離反した際、武田信玄が対徳川の最前線として馬場信春に命じて築城させたと云う。
天正3年(1575年)5月の長篠の戦いで武田氏敗北した際に廃城となった可能性が高い。

至近距離に作手奥平氏の亀山城・塞ノ神城・河尻城・文珠山城・石橋城。
連携と相互監視・・・後者だよね。
古宮城01

古宮城02 古宮城03

古宮城04 古宮城05

古宮城06 古宮城07
広大な帯曲輪と、城を大きく分断する堀切に長く仕切る土塁。
歩き回るには伸び放題の雑草と夥しい蟲が邪魔。


三河亀山城01 三河亀山城02
[ 三河亀山城 ]

古宮城から1㌔下って、道の駅つくで手作り村の裏が三河亀山城。
応永31年(1424年)、上野国甘楽郡奥平郷から移住した奥平氏が川尻城に代わって居城とした。

奥平氏は今川→織田→武田と主君転々として、天正元年(1573年) 武田氏を離反して徳川氏に帰属すると長篠城主として武田氏との最前線に投入。三河亀山城は支城扱いに。
奥平信昌の徳川家帰順の経緯は・・・・まぁ、時代が時代だし。
三河亀山城03 三河亀山城04
1602年 奥平信昌四男、松平忠明 上野国長根7千石→ 作手1万7千石
1610年 松平忠明  →伊勢亀山5万石  三河亀山城は廃城。

三河亀山城05 三河亀山城06
三河亀山城の道挟んだ向いの慈昌院が旧石橋城。

道の駅つくで手作り村のトマトジュースがとにかく美味しかった。


にほんブログ村 サッカーブログ ヴァンフォーレ甲府へ    人気ブログランキングへ
関連記事
スポンサーサイト

0 Comments

Leave a comment