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20
2017

北へ北へ 7 / “酒井” “本間” “海坂” な鶴ケ岡城








[ 鶴ケ岡城 ] (続100名城-108番)
鶴ケ岡城01
「道の駅庄内みかわ」を6時に出発して、15分で鶴ケ岡城へ。
鶴ケ岡城02 鶴ケ岡城03
この石垣は遺構かな。 
東北は土塁中心な城郭が多いけれど、ここは改修に次ぐ改修が有った筈で。




鎌倉初期に出羽国大泉荘の地頭大泉氏が当地に居を構えたのが始まりとされる。以降大泉氏は武藤大宝寺氏を名乗る

戦国時代に入ると武藤氏は越後上杉氏と手を組み庄内地方の統一を果たす。
1583年 版図を最大に広げた武藤義氏が、最上氏と通じた家臣の前森蔵人(東禅寺義長)の謀反に遭い自害。ここから上杉・最上の争奪戦が始まった。
1588年 十五里ヶ原の戦い――上杉・武藤連合軍 vs 最上・東禅寺軍 ―― で上杉軍完勝により、庄内は上杉領となる。 

鶴ケ岡城04 鶴ケ岡城05
藤沢周平記念館
鶴岡藩が海坂藩のモデルとなったのは有名ですね。


1600年 関ヶ原の戦い後 上杉に代わって庄内地方は最上領に。
1603年 東禅寺城を亀ヶ崎城と改称した際、大宝寺城も鶴ヶ岡城と改称。

鶴ケ岡城06 鶴ケ岡城07

庄内藩
1622年 最上義俊  最上騒動で改易。
1622年 酒井忠勝  信濃松代10万石  ⇒ 13万8千石
譜代きっての名門酒井家が一度も転封することなく12代で維新へ。 
その一方で代々幕閣歴任することで出費はかさみ、実高30万石にも関わらず藩経営は赤字。
そこで経営を“日本一の大地主”と呼ばれた豪商本間家に一任することで好転させた。
民間活用の先駆者ね。


戊辰戦争では奥羽越列藩同盟内で会津藩と並ぶ強硬派。
会津藩が降伏した後も抗戦を続け、改元された9月25日に降伏。

鶴ケ岡城08 鶴ケ岡城09
早朝からジョギング、散歩している方が多かった。
少し街並みを散策したかったけれど、東から台風が迫っているからスケジュールを前倒しで進めなければ(''◇'')ゞ




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