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2017

北陸から往く-19 郡上八幡城









[ 郡上八幡城 ]  (続日本100名城-141番)
郡上八幡城01
何故にこの銅像?・・・・・千代は郡上八幡始祖遠藤盛数の娘なのね。

郡上八幡城02 郡上八幡城03 郡上八幡城04

郡上八幡城05 郡上八幡城06
運転に自信のない方にはお勧めしない山頂駐車場への隘路

郡上八幡城07
戦国期の郡上地方は東氏支配の地。
東氏衰退後も同族の遠藤氏が支配した。
遠藤氏の当地に対する拘りは半端なかった。
郡上八幡城08 郡上八幡城09
東氏の居城は吉田川対岸にある赤谷山城
1559年 東氏は遠藤盛数により滅ぼされたが、その際、砦を築いたのが郡上八幡城の起源。
場所柄当然の斎藤家に従属し、若くして跡を継いだ慶隆は斎藤氏重臣安藤守就の娘を妻に迎えた。

1567年 斎藤家滅亡後は美濃諸将同様、織田家従属するが武田に内通してみたり、本能寺後は織田信孝傘下になったりと時局は読めなかった。
一度は領地を失い、紆余曲折あって関ケ原後に郡上八幡に復帰した。

因みに郡上八幡城は1588年に稲葉貞通が城主となって近代城郭的な大改修を行った。

郡上八幡城10 郡上八幡城11 郡上八幡城12

郡上八幡城13 郡上八幡城14
現在の城は1933年に大垣城をモデルに木造再建。

郡上八幡城15

郡上八幡城16
広い町ではない・・・・つーか、思い切り狭いよ。
車に行き違いが本当に大変だった。

郡上八幡城17
郡上藩
1600年 遠藤慶隆  小原7千石 ⇒ 2万7千石で復帰
1692年 遠藤胤親  ⇒三上1万石
1692年 井上正任  笠間5万石 ⇒5万石   転封に際し、財政難を理由に家臣の3割をリストラしてやって来た。
1697年 井上正岑  ⇒丹波亀山4万7千石 新井白石曰く「めっちゃ性格悪いよね」要職歴任も嫌われまくりな人
1697年 金森頼時  出羽上山 ⇒3万8千石
1758年 金森頼錦  改易  4年に渡る一揆とか色々。
1758年 青山幸道  丹後宮津藩  ⇒4万8,000石
 以後7代で維新へ。  
 藩主変われども藩経営は大変だったんだろうと。



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