04
2017

北陸を往く-13 大聖寺城







[大聖寺城]
大聖寺01 大聖寺02
錦城山(70メートル)に立地
大聖寺03
苦笑する案件

大聖寺04 大聖寺05
時代は古く、鎌倉時代に狩野氏よって築かれ、その居城に。
1335年 中先代の乱で挙兵した北条傍流名越時兼が越中より南下してきた際、狩野一党が大聖寺城で迎撃したと云う
1337年 新田義貞側の敷地伊豆守、山岸新左衛門らが津葉清文の守る大聖寺城を攻略している

戦国時代になると御多分に漏れず一向一揆の拠点。
1555年 朝倉宗滴の加賀侵攻で陥落
1567年 一向一揆に呼応した堀江景忠だったが、足利義昭の斡旋により大聖寺城を焼払って和議に持ち込んだ。
1575年 織田信長の加賀進攻の際、柴田勝家によって修復、堀江景忠・景実父子が入城
1576年 佐久間盛政が大聖寺城主
1580年 拝郷家嘉が大聖寺城主

大聖寺06
1583年 賤ヶ岳の戦いで拝郷家嘉も勝家に付いて敗北
       丹羽長秀与力として溝口秀勝が4万4千石で入城。
1598年 堀秀政の子・堀秀治が春日山城に移ると、与力の秀勝も新発田藩に転封。
       小早川秀秋家臣の山口宗永が6万3千石で入城。
1599年  秀秋は転封されたものの、宗永は秀吉の直臣となって残留。
1600年  関ヶ原の戦いで宗永は西軍に。
       前田利長に攻められ大聖寺城は落城、宗永は自刃した。
1615年  一国一城令で廃城。
1639年  前田利治が7万石を分けられて大聖寺藩。
       城を修復することなく、跡地に大聖寺陣屋を設けた。 

大聖寺07 大聖寺08

大聖寺09 大聖寺10
本丸には山口宗永の慰霊碑。
その本丸背後に土塁から続く櫓台的な台地があったり、不思議な縄張りな城郭。




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