FC2ブログ
03
2017

Around the 北条 - 笠間城








笠間01 笠間02
観光客と部活高校生が半々な水戸線に揺られる事55分で笠間駅へ。

「アッーーー! 笠間城まで、車で10分を徒歩10分と勘違いしてた!」
駅横の観光案内所のパンフレットで、この事実に気が付いて愕然とした俺ちゃん。
最近、こういう事多いんだな(T_T)

こういう時はレンタサイクル、今回初めて電動アシスト自転車をチョイスした。
1回レンタルで500円は激安です。
笠間03 笠間04
案内所でも要注意と言われた巨石を越え、最奥の駐車場まで登り、車進入禁止柵の脇に自転車停めて登城スタート。
まぁギリキ゜リまで自転車で来てるからキツイ訳ないんだけどね。
笠間05 笠間06
笠間07 笠間08
1598年 蒲生秀行家臣、蒲生郷成が3万石で笠間城に入城。この時現在の形に整備。

笠間09 笠間10
郭の形態と、付随する横堀、更に天守曲輪城道始め、山上の遺構は綺麗に残存。


1205年 真言宗の正福寺と徳蔵寺の勢力争いに介入した宇都宮頼綱が一族の塩谷朝業を派遣し、当地を占拠進出。
1219年 朝業の子の時朝が佐白山に築城開始。 この時朝が笠間氏を名乗るようになる。
1235年 笠間城完成。 
       以降 笠間氏18代の本拠に。
1590年 小田原討伐では宗家宇都宮氏に従い豊臣側だった説と、後北条氏に従った説に分かれる。
       どちらにせよ戦後、18代笠間綱家が宇都宮国綱によって討たれ滅亡。
1592年 宇都宮国綱の家臣玉生勝昌が城代入城。
1598年 蒲生郷成が3万石で入城。

笠間13
笠間城 続100名城-112番
震災の影響で崩れた天守台には登れない。
その天守台には天守閣を転用した佐志能神社が鎮座しておる。

因みにここは茨城県屈指の心霊スポットだそうです。(。Д゚; 三 ;゚Д゚)

笠間11 笠間12
笠間藩
1601年 松平康重 武蔵騎西藩2万石 ⇒ 3万石立藩
1608年 松平康重 ⇒ 丹波篠山藩5万石
1608年 小笠原吉次  下総佐倉藩2万2千石  ⇒ 3万石
1609年 小笠原吉次 改易
1612年 松平康長  下総古河藩2万石  ⇒ 3万石
1616年 松平康長  ⇒上野高崎藩5万石
1616年 永井直勝  上野小幡藩1万7千石 ⇒ 3万2千石、のち5万2千石  「5000石の首(池田恒興)」で有名な部将
1622年 永井直勝   ⇒古河藩7万2千石
1622年 浅野長重  常陸真壁藩5万石 ⇒ 5万3千石
1645年 浅野長直    ⇒播磨赤穂藩5万3千石
1645年 井上正利  遠江横須賀藩4万7500石 ⇒ 5万石
1692年 井上正任    ⇒美濃郡上八幡藩5万石
1692年 本庄宗資  下野足利藩2万石  ⇒ 4万石  姉が家光の側室だった関係で、公家家臣から大名に! 
1702年 本庄資俊    ⇒遠江浜松藩5万石
1702年 井上正岑  常陸下館藩5万石 ⇒5万石  8代将軍吉宗の立役者とされるが、新井白石曰く「性格最低な男」
1747年 井上正経    ⇒陸奥磐城平藩3万7千石
1747年 牧野貞通  日向延岡藩8万石  ⇒ 8万石
  以降維新まで越後長岡藩支藩として牧野家が支配するが、要職歴任する譜代なのでお約束で慢性貧乏藩。
  その対策の殖産興業として笠間焼が発展した。



にほんブログ村 サッカーブログ ヴァンフォーレ甲府へ    人気ブログランキングへ
関連記事
スポンサーサイト

0 Comments

Leave a comment