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04
2017

上野国・太平記ワールドな反町館・江田館・新田館

CATEGORY上野国










金山城から下り、新田荘遺跡に含まれる旧城跡3つを回った。
黄昏時なんで気が逸る(´-∀-`;)

因みに新田荘遺跡は、上野国新田郡(群馬県太田市)にあった荘園新田荘に関わる遺跡。
中世武士団新田氏一族の根源地で、長楽寺文書、正木文書によって文献史料の裏付けを可能とする東国の中世荘園としてのレアケース。
平成12年に、新田氏遺構群の内11箇所が国の史跡に指定された。
反町館01 反町館02

反町館04 反町館03
反町館
1330年前後に新田義貞によって築かれたと云われる。
戦国時代には金山城の出城として三重の堀を持つ城郭に改修。
1584年 後北条氏の金山城攻略では北条氏邦の本陣。
1590年 後北条氏の敗北で廃城となったあと、由良氏が寺院建立した。 


江田館0
江田館
1220年前後、江田頼有によって築城。
          江田氏も新田一族で、江田行義は新田義貞の鎌倉討伐時、極楽寺坂口の大将を務めた武将。
戦国時代には金山城の出城として改修され、矢内四郎左衛門の居城であった。
反町館同様に後北条氏は、金山城攻略のため江田城を攻め落とし拠点とした。
更に反町館と同じく、後北条氏滅亡とともに廃城
江田館02 江田館03


新田館01

新田館02 新田館03

新田館04
新田館
1157年 諸説あるけど新田義重によって築城された説が有力で以後新田宗家累代の居館。
      新田義重は、清和源氏嫡流の源義家三男義国の長子。
         義重が新田氏始祖となり、下野国足利を領した弟義康が足利氏の祖となった。

正平年間(1346~1370)には寺院になったとされるから、廃城/棄却になったのは早かったもしれない。
義重の四男義季がこの地を相続して世良田姓に。
更に義季の庶子頼有が南東の得川郷を相続したのが、家康が新田子孫を主張する根拠になった。

新田館05
世良田東照宮他を訪れる時間はもうなかった。
高速乗った頃には夜が始まっていた。



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