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26
2016

GO GO WEST 2016秋-23 関ケ原を歩く①







関ケ原21
一年ぶりの関ケ原です。
まずは前回地図を持たずにブラブラしていて見ていなかったこちらへ。
関ケ原22
先客の老夫婦は碑台にお賽銭上げて、手をあわせてる訳。
ここ神社仏閣と違うでしょ。
最近あちらこちらで目にする光景。
意味解らん。
関ケ原23
今は木々が茂ってるけど、無ければ笹尾山まで一望できたでしょ。
関ケ原24
岡山烽火台が見えた。
関ケ原25
関ヶ原05

この辺(桃配山)から対南宮山までの配置がよく解らない。
浅野・池田の後詰なのか、関ケ原本戦の後詰なのか。

中村一氏(代陣 一栄、一忠)  兵不明   駿河府中14万石 ⇒ 伯耆一国17万5千石

  ――― 割と早い時期から一軍の大将として名前が出てくる人
  ――― 実務長けてて渉外もやってたから家康とは懇意だったかと。
  ――― 家康と談判して東軍に、でも関ケ原直前に本人死去
  ――― 本戦何もしてないけど、一国GET

有馬則頼・豊氏  兵900  則頼/播磨淡河1万5千石 ⇒ 摂津三田2万石  豊氏/遠江横須賀3万石 ⇒ 福知山6万石  
  ――― 細川京兆家に連なる名門
  ――― 長男則氏は小牧長久手で戦死。だけど家康とは懇意。
  ――― 儒学に親しみ質素な生活だけど・・・・・
  ――― 最終的に筑後国久留米21万石の国持ち大名まで出世した。
        それだけ幕府・将軍家の覚え目出度い一方、内政は圧政すぎた。

堀尾忠氏  兵不明  浜松12万石 ⇒ 出雲松江24万石
 
 ――― 父吉晴は秀吉最古参家臣の一人
 ――― そんな親子でも東軍。
 ――― 家康とも古くからの付き合いだったかな。
 ――― 忠氏「評定で、内府殿に城提供する旨言おうと思ってます」
       それ打ち明けられた山内一豊が評定で先にそれ言った
       忠氏「えっ、何それ。大人って・・・・・」 


 ――― そんな忠氏の息子忠晴。
       幕府から丹波亀山城天守破却を命じられて、間違って伊勢亀山城天守を解体した。  

       

関ケ原26
山内一豊陣跡

山内一豊  兵2,000    掛川5万9千石 ⇒ 土佐9万8千石(高直し20万2千600石)

  ――― 岩倉織田家家老職のお家柄
  ――― 何か地味
  ――― 盟友堀尾吉晴の倅忠氏の立案頂いて、真っ先に居城を家康に提供した。
  ――― 結構、豊臣系の離反工作やってたっぽい。
  ――― その報償が土佐一国
        「えっ、土佐?・・・・・」少し落胆 少し困惑 
  ――― 「一領具足どうしようか。」
        「在地領主うざいなぁ。」
        「えーと、こういう感じで呼び出して・・・・ジェノサイド!」
        えげつない

  ――― 司馬遼太郎曰く「ホントつまらない部将
        子孫は激怒

蜂須賀至鎮   兵不明    阿波18万石 ⇒ 安堵

  ―――  福島正則軍に組み込まれたという説と 後詰だったという説
  ―――  父親家政は在国して中立(西軍寄り)、息子は東軍。
        そこは色々考えて。
 

関ケ原27
パンフの案内より南下、公民館脇で民家の裏に・・・・
関ケ原28
本多忠勝陣跡

本多忠勝 兵400   上総大多喜10万石 ⇒ 伊勢桑名10万石

  ――― 安祥松平最古参家臣
  ――― どの物語でも戦場一筋、豪放磊落に描かれる人
  ――― 単純な武闘派ではないし、直情径行でもない。
  ――― 大多喜10万石は、VS里見を想定して。
        里見を過大評価しすぎでは。
  ――― 移封で桑名へ。
        伊勢路・大和路への要所
  ――― 鹿角脇立兜と蜻蛉切
  ――― 子と孫までエピソードあり過ぎ、ヤバ過ぎな人も。
  

まだ13時過ぎだけど、もう足が限界。
逡巡もせず帰還を選択。
名古屋駅行って名古屋飯にありつこうと。


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