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2016

GO GO WEST 2016秋 - 3 高取城/弐







高取城21   高取城20   
高取城22   高取城23
二ノ丸から本丸までが結構距離有る。   
高取城24   高取城25
石組みから想像するけど相当の連立天守だったかと。
高取城26
あいにくの曇り空
天気が良ければ吉野方面が一望。
桜のシーズン綺麗でしょ。
天守があった当時は奈良盆地はおろか、比叡山から六甲山まで見られた。
高取城27
一枚だけ自撮り   
高取城30
高取城/高取藩
1332年 南朝方の越智邦澄が築城。
      以後、越智氏の支城、戦国期は本城に。
1583年 筒井順慶に攻められ、越智氏滅亡。
       この時期まで活動した割に越智氏の資料は少ないらしい。これって珍しいけど筒井が抹殺したと想像。
1584年 筒井順慶によって要塞化
1585年 豊臣秀長家臣の脇坂安治、次いで本多利久が城代に。
       この本多利久が近代城郭化した。
1595年 本多利久の子俊政は秀吉直参となり1万5千石拝領
1600年 東軍について2万5千石となり高取藩立藩
1637年 無嗣改易
1640年 旗本植村家政が2万5千石の大名に取り立てられ高取藩再立藩し、維新まで。
      
   1599年 この植村家政は500石旗本で秀忠小姓からスタート
   1614年 大坂冬の陣で徳川方斥候の功績で1千石加増
   1625年 3代将軍家光付、大番頭に任じられ3500石加増
   1633年 加増され9000石の大身旗本。
   1640年 1万6,000石加増、2万5千石の大名に。
   1650年 「儂、頑張った」62歳で死去。
   何か凄い立身出世物語なんだけど、伊東潤さんとか岩井一四三さんあたりが小説にしてくれないかな。
   因みにこの植村家政の生母は依田信審の娘。

帰路は壺阪寺ルートを下る予定だったのに、ぼーっとして往路ルートを下ってしまった。
それくらい疲れてました。
下山中半端ないハイカーとすれ違いました。

スタンプ押したり、これから行かれる方と雑談して駅に着いたら電車が行った直後。
およそ30分の待ち時間でペットボトル3本分の水摂取。
汗が止まらんかった。
予定より1本早い電車で河内長野を目指します。

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