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06
2013

GO WEST ! ~桑名城







桑名城01ソーリ
桑名駅に降りたらホームにお巡りさんの姿チラホラ。
「何か事件?」とか思いつつ、階段登ると夥しい人数のお巡りさん。
でも殺伐とした雰囲気ではない。
気にしつつ、改札へ。

!?
改札手前にいたSPっぽい婦人警官は美しすぎ! マジで。
ほんと目を奪われた。
振り返ってチェックする民間人多過ぎ(笑)。とーぜん俺様も。

表に出て「あー」
ソーリの街頭演説真っ最中。
隣の候補者綺麗っすね。
時間もないので、一階に降りて観光案内所を探すものの人混み凄すぎて解らん。
うろ覚えの記憶で歩きます。


桑名城02桑名城03
桑名城04桑名城05
春日神社
正式名は桑名宗社
信長・家康、歴代の藩主が庇護した由緒正しい古社


桑名城06桑名城08
和食の名門「柿安」発祥の地。名古屋場所開催中、峰崎部屋の宿舎に。/城跡は九華公園として整備


桑名城07
本多忠勝像
忠勝といったら、やっぱこの兜。


桑名城09
桑名城天守閣跡――建っているのは戊辰戦争の招魂碑


桑名城
1513年 伊藤武左衛門が城館を建築。
1574年 織田信長が制圧、滝川一益の配下に。
秀吉政権化は神戸信孝-天野景俊-服部一正-一柳直盛-氏家貞和-松平家乗と忙しい異動。

1601年 徳川四天王の本多忠勝が10万石で入城。
     4重6階の天守、51基の櫓、46基の多聞という壮観な構えに。同時に城下町も整備された。
1617年 2代忠政は姫路藩に移封。松平定勝(家康の異父弟)が入城。
以降は久松松平2家5代-奥平松平7代-久松松平5代で明治維新へ。

幕末の藩主は松平容保の実弟、松平定敬。
会津同様、京都所司代として京都の治安を預かった。
当然、新政府軍の標的となる。

鳥羽・伏見の戦いに敗れた旧幕府軍と共に藩主定敬も江戸に行ってしまった。
間もなく新政府軍はやってくる!
藩主がいない!
どうする?
家老達は喧々諤々の大激論、結論出ない。

「くじ引きで決めよう!」
(笑)(笑)(笑)

くじの結果は抗戦。

・・・「やだよ」
下級藩士猛反発。

結局は無血開城(汗)。

やってきた明治政府軍。
「やるの?やらないの? オラ! ( °▽°)=◯)`ν°)・;'.、 」

  「さーせん、降伏します。_| ̄|○スイマセン_| ̄|○))ユルシテクダサイ_|\○_コノトオリデス」

「(・`ω´・) んじゃ、誠意示せよ」

  「(°◇°;)ゲッ」

「( ̄^ ̄)城燃やして! 何か文句ある?(ゴルラッ)」

  「(゚□゚;)アワワ(;゚□゚)アワワ・・・・・・・・・はい」


桑名城焼き払いが開城の証となった。
なんてこった
 ┐(’~`;)┌

会津とはえらい違いです。
その後の会津への仕置きを考えると降伏も間違いじゃないけどね。


桑名城11桑名城12
パンフ貰いに管理事務所行ったら緩すぎ(笑)。
いいお爺ちゃんでしたけど。

総じて全体が汚いというか、手入れを怠っているイメージが強いです。
もう少し伐採するところはした方がいいと思う。


桑名城13桑名城14
かつての蟠龍櫓跡に水門管理所を建設、蟠龍櫓を外観復元。
二重櫓で2階が桑名市所管の展望台兼資料室に。
担当の御婦人とお話したところ、東海道七里の渡し跡と云う事で東海道を歩いている学生さんが多く立ち寄るそうです。


桑名城15
桑名城16
彼方に名古屋駅のツインタワー、手前が伊勢長島


桑名城17
七里の渡しの碑


桑名城18桑名城19
商店街は七夕の準備中、適当に歩いてたら迷った。
チャリの小学生に
「駅どっち?」
「あっち!」
素直に指さす方向歩いて行った・・・・・・・線路には当たったけど駅遠いぞ(笑)。

駅隣接ビル内にヴィアティン桑名のポスター。
ここは元Jリーガー多いです。


桑名城20
とりあえず行程終了。
何か食べようと思ったけど、ここまで来たら名古屋飯でしょ。
時刻表見たら数分待ちなんで名古屋へ。



名古屋到着して近鉄駅ビルの書店で文庫を数冊購入
JR名古屋駅で時間確認するとあと20分弱で長野行が出る。
その後の列車となるとおよそ2時間待ち。
名古屋グルメ・・・・・・・諦めた(泣)。
ホームで駅弁購入、座席について即開き、多治見に着く前に食べ終わっておった(汗)。
松本までは爆睡。
20時過ぎに自宅着いたら
「早!」
家族がハモった。



「・・・・・・・・早く帰ってきてごめんなさい・・・・・・」



明日はおまけ。



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