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category: 旅行記~2023 晩夏の東北歴旅(青森・岩手)  1/1

2023 晩夏の東北歴旅 16.二子城

[二子城]築城年代は不明応永8年(1401年) 和賀郡惣領職に補せられた和賀時義が本拠地とした。天正18年(1590年) 奥州仕置で和賀氏は改易追放。和賀・稗貫一揆が勃発し旧臣によって二子城を奪還したものの、翌年の再仕置で蒲生氏郷軍によって攻略鎮圧。慶長5年(1600年)南部氏が最上出陣の隙をついて、和賀忠親が挙兵(岩崎一揆)し二子城を拠点として南部氏と戦う。花巻城を急襲(花巻城の夜討ち)したものの、南部軍に敗れて...

2023 晩夏の東北歴旅 15.花巻城

[花巻城]前九年の役 安倍頼時の城柵と伝わる (「内史略」 「奥羽永慶軍記」)室町時代  稗貫氏は十八ヶ城を本城としていたが、享禄年間に入り鳥谷ヶ崎城に移転。天正19年(1591年) 当地は南部領となり大改修。 花巻城と改名慶長8年(1613年) 南部利直次男・政直が花巻城代(2万石)となり花巻城改築。一国一城令の例外として認められる。明治2年(1869年) 廃城棄却・・・一番見事に残っているのは堀っぽい。櫓門は復元...

2023 晩夏の東北歴旅 14.高水寺城

[高水寺城]建武二年(1335年) 南北朝期、足利尊氏が奥州管領として斯波高経の長子・家長を下向させ居館を構えた。以後、戦国期滅亡まで高水寺斯波氏の居城となり、戦国期に入ると郡山の丘陵頂上に本丸を築き防御力を上げた。天正十六年(1588年)岩清水左京の謀反により斯波氏滅亡。南部氏は城代を置いた。盛岡城築城中の元和・寛永年間の居城となった。寛文七年(1667)盛岡城完成で本拠移転、廃城破却。暗闇迫る17...

2023 晩夏の東北歴旅 13.志波城

[志波城]延暦22年(803年) 征夷大将軍・坂上田村麻呂が造営した古代城柵前年、胆沢地方において蝦夷首長アテルイを降伏させた事で、朝廷は支配領域を北上川北部まで進める一環事業弘仁2年(811年)雫石川氾濫で志波城は機能しなくなり、10㌔南方の徳丹城に異動、志波城は僅か10年余りで廃城に。官衙建物、築地塀上の櫓、外郭南門、政庁東西門等が復元されて、現在は公園として整備されてます。1200年前、平安京からやってき...

2023 晩夏の東北歴旅 12.天台寺

九戸城から30分弱で天台寺。階段見て「うわっ」[天台寺](伝承)神亀5年(728年) 聖武天皇の命を受けた行基菩薩が八葉山と命名、山中の桂の大木を刻んで本尊聖観音菩薩とし、天皇直筆の額を掲げて開山。平安時代には寺観が整備されていたことから、日本最北の仏教文化拠点だったと云われる。色々有って衰退していたところ、1976年に中尊寺貫主・今春聽(作家今東光)が特命住職に、更に1987年、瀬戸内寂聴が後任住職を勤めた事で...

2023 晩夏の東北歴旅 11.九戸城

青森県(三戸城)から岩手県(九戸城)へ。金田一バイパスに入ったら、突然ガソリン価格が安くなった感じ。ガイダンス施設駐車場はほぼ満車で、城内は結構賑やか。[九戸城]明応年間(1492年 - 1501年) 南部氏一族九戸氏による築城天正19年(1591年) 「九戸政実の乱」の舞台になり、乱鎮圧後に近世城郭に整備される。慶長2年(1597年) 不来方(盛岡)築城で南部氏の居城は盛岡城へ。寛永13年(1636年) 廃城。河岸段丘に築かれて...

2023 晩夏の東北歴旅 10.三戸城

七戸城から南下する事70分弱、青森県最後の城郭三戸城へ。[三戸城]天文8年(1539年) 聖寿寺館(本三戸城)が焼失に伴い築城天正19年(1591年) 九戸一揆平定後、蒲生氏郷らによって、三戸城は近世城郭に大改修。寛永10年(1634年) 盛岡城が居城となり、三戸城は御古城と呼ばれ、城代が預かり御掃除奉行が管理することに。貞享年間(1684~88年) 城代が廃されて三戸代官が支配。・・・小さな盆地に二つの河川(熊原川・馬淵...

2023 晩夏の東北歴旅 9.七戸城

浪岡城から七戸城、高速降りてから県道257号が結構な山道。地政学的にも津軽/南部の関係成程なぁと。[七戸城]元弘三年(1333年) 新田義貞に呼応した南部政長が、戦後の恩賞として七戸郷を与えられ、築城したと伝えられている。天正19年(1591年) 九戸政実の乱、政実に加担して城主七戸家国は奥州仕置軍に滅ぼされ、七戸南部家は断絶した。天正20年(1592年) 城破却。慶長2年(1597年) 対津軽の備えとし...

2023 晩夏の東北歴旅 8. 浪岡城

[浪岡城]文中二年(1373年) 平安京を模して敷地四隅に祇園・八幡・加茂・春日の各神社が配置されていた。応仁年間北畠顕家末裔、4代北畠顕義によって築城。天正6年(1578年) 9代北畠顕村の代に大浦為信によって落城。・・・築城当時からすると規格外な規模。―― 浪岡北畠氏がそれだけの力を持っていた証左でしょうか。ただ広大だし守りに易いと思えないので、それなりの兵力&指揮官の器量がないと厳しかったのでは?...

2023 晩夏の東北歴旅 7.堀越城

[堀越城]1336年(建武3年) 曾我太郎貞光による築城1571年(元亀2年) 大浦為信(津軽為信)はこの城に兵を集め、石川城を急襲。1594年(文禄3年) 大浦城より本拠を移す。1611年(慶長16年) 弘前城完成/本拠移転1615年(元和元年) 一国一城令により廃城。攻守どちらにも向かない典型的な政務メイン中世的な居館なのに、大浦城から本拠を移したのは出羽方面(秋田)へのアクセスも考慮したのかと。東北自動車道を弘前大鰐ICで...

2023 晩夏の東北歴旅 6.檜山城

[檜山城]1456年(康正2年) 安東政季・安東忠季父子が河北千町地域を領していた葛西秀清を撃ち滅ぼし当地に入る1495年(明応4年)頃 檜山城修築完了1589年(天正17年)湊合戦(安東氏内紛)で大規模な籠城戦の舞台に。1598年(慶長3年)秋田実季は本拠を湊城に移り、檜山城は支城に。1602年(慶長7年)秋田実李 常陸国宍戸転封。佐竹氏家臣・小場義成が檜山城城代に。1610年(慶長15年)小場義成  → 大館多賀谷宣家 白岩→檜山1...

2023 晩夏の東北歴旅 5.大潟

昭和の国策一大事業、大潟干拓は小中学校の社会でやりましたね。いざ、来てみると田圃一枚の大きさから、果てしない田園光景に驚かされます。参考1964年 / 6世帯世帯14人  →  2023年 / 1153世帯3007人近隣自治体とは7本の橋梁で繋がっている、或る意味"島"!...

2023 晩夏の東北歴旅 4.脇本城

[脇本城]元弘4年(1334年)頃 鎌倉北条氏家中の武士が居館構築(推定)康正2年(1456年)安東政季が当地に入り拠点となる城郭に改修したと推測される。元亀・天正年間(1570/1573年〜1592年) 安東鹿季により本格的な城郭になる。天正5年(1577年)檜山城主安東愛季は湊安東氏を併合、檜山城を長男業季に譲り脇本城を居城とした。天正18年(1590年)奥州仕置にて、石高5万2千石安堵。平城を本城とし、脇本城は支城に。慶長7年(1602年...

2023 晩夏の東北歴旅 3. 道の駅てんのう

てんのうスカイタワー / ポートタワーセリオン[道の駅てんのう]道の駅てんのうで初日の車中泊。日帰り温泉併設で広大な駐車場なんで、車中泊人気スポットです。早朝 公園をブラブラ。素戔嗚尊伝説の地なんですね。...

2023 晩夏の東北歴旅 2.秋田城

[秋田城]733年(天平5年) 蝦夷を軍事による蝦夷制圧/支配域拡大に伴い出羽柵を当地に移転。思い切った北進は、[出城的役割と入植&同化政策]に加え、[海上交易の拠点造り]の側面が大きかったとされる。878年(元慶2年)元慶の乱では一時俘囚側に占拠され焼失。939年(天慶2年)天慶の乱でも攻防戦11世紀後半で記述が無くなった事から自然消滅、又は放置されたかと。・・秋田市内に入ってから渋滞にハマって駐車場到着が18時30分...

2023 晩夏の東北歴旅 1. 奥の細道 三崎峠から

9月16~18日、7月3連休で予定していた青森岩手遠征を敢行しました。[奥の細道 三崎峠]全面開通していない高速降りて乗っての繰り返しの日本海。下道で「日本海の写真撮りてー」と思ってて発見したのが三崎峠の駐車場。彼方に見えるのは飛島。秋田県の海岸線は風力発電のプロペラだらけ。...