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category: 旅行記~2023 夏旅と秋旅(静岡・山梨・神奈川)  1/2

令和5年の秋旅~10.本栖城

[本栖城]天文年間(1532年〜1555年) 武田氏の城として築かれていた。天正10年(1582年) 武田氏滅亡後、徳川氏に降った渡辺因獄祐は出身の土豪・九一衆をまとめ本栖城に入り、北条氏侵入に備えた。・旧上九一色中学入口が登城口で、10分足らずで溶岩石を利用した石塁にたどり着いた。時間が時間(16:00)なのでここで撤退。...

令和5年の秋旅~9.北口本宮浅間神社

[北口本宮浅間神社]景行天皇40年の創建(伝承)延暦7年(788年) 甲斐守・紀豊庭により現在地に神殿を建て、浅間の大神を祀り、大塚丘には日本武尊の神霊を祀った元和元年(1615年) 谷村城主・鳥居成次の寄進により現在の本殿が建立。貞享5年(1688年)に社殿が造修。享保18年(1733年) 江戸の富士講村上派・村上光清が私財を投じて幣殿、拝殿、神楽殿、手水舎、隋神門を造営。大鳥居は国内最大の木造鳥居 / 隋神門神楽殿 /...

令和5年の秋旅~8.山梨県立富士湧水の里水族館 森の中の水族館

[山梨県立富士湧水の里水族館 森の中の水族館]子供の教育大前提の淡水魚水族館ですが、昨年、同様の「アクア・トト」行ってるもんで・・・・・・・・。故障中だか調整中多すぎじゃね?...

令和5年の秋旅~7.河村城

[河村城]平安末期、波多野氏庶流・河村秀高による築城とされる。文和元年(1352年) 南朝方・河村氏は、新田義興・脇屋義助らと河村城に籠城して、足利尊氏軍と2年間に渡って闘ったものの落城。室町時代中期になると、鎌倉公方足利持氏配下・大森憲頼の持ち城となる。 戦国初期、大森氏は北条早雲によって滅ぼされ北条氏の城に。元亀元年(1570年) 武田に備えて、北条氏が大改修。天正18年(1590年) 小田原征伐で落城、廃城。...

令和5年の秋旅~6.大雄山最乗寺

[大雄山最乗寺]応永元年(1394年)創建の曹洞宗の寺院それ程、大したエピソードはないけれど人気寺院なのね。ヤバい ! かっこよすぎ !ラスボス、奥之院への250段 !...

令和5年の秋旅~5.足柄城

葛山城から割と酷道な御殿場大井線を登って足柄城へ。この道は縄文時代からの最古道で、この頂点が足柄峠で、ここから東が所謂"坂東"[足柄城]交通の要衝ゆえに、899年には関所が設けられた。建武2年(1335年) 箱根・竹ノ下の戦いでは、足柄峠に陣取った足利尊氏軍が西側から攻め寄せた脇屋義助軍を峠下の竹ノ下で撃破している。明徳3年(1392年) 大森氏により築城。 関所にプラスα的な砦でしょうか。天文5年(1536年) 北条氏...

令和5年の秋旅~4.葛山城

[葛山城]築城時期は明確ではないが駿河大森氏の庶流葛山氏が当地に居を構えた平安末期が有力。鎌倉時代 / 源頼朝に従い有力御家人となり、末期には得宗家に近い御内人にまでなっていた。室町時代 / 将軍直属の奉行衆戦国初期 / 駿河に入った北条早雲に早くから同調以降、国衆として今川傘下で甲相駿のバランスを採っていたが、今川義元横死後は武田方に。苦難の連続の挙句に蜂起したものの鎮圧されて一族滅亡し、名跡を継い...

令和5年の秋旅~3.修善寺界隈

源頼家墓 / 指月院 / 十三士の墓指月院は息子頼家を供養するために北条政子が創建した寺院で、伊豆では最古の木造建築十三士の墓は、頼家に準じて自刃した家臣と誅殺された家臣13名のもの。竹林小径は100mも無いけれど、趣良いですね。ライトアップされた夜、再訪したいな。...

令和5年の秋旅~2.修善寺

[修善寺]大同2年(807年) 空海による創建(伝承)桂谷山寺と呼ばれていたが鎌倉初期に修善寺の名称に。鎌倉幕府2代将軍の源頼家が当寺に幽閉され、その後殺害されたとして知られる。大人気寺院ですが、早朝(7:00)だけに人は疎ら。...

令和5年の秋旅~1.伊豆日枝神社

甲府-大分戦の際、西伊豆町のパンフレット頂いて試合前に斜め読みして、翌日思いつきで修善寺へ。ここは西伊豆町じゃなくて、伊豆市なんですよね。(後で知った)[伊豆日枝神社]地理的に修禅寺の鬼門にあたり、元は空海が建立したと伝わる鬼門鎮守の山王社で、維新時の神仏分離令により修善寺から分離し独立した神社。建久4年(1193年) 源範頼は兄頼朝から、この境内にあった信功院に幽閉され、翌年、梶原景時の急襲に遭い、防戦の...

令和5年の夏旅 15.矢奈比売神社(見附天神)

[矢奈比売神社/見附天神]創建年代は不詳。『続日本後紀』では承和7年(840年)6月に従五位下の神階を授けた記載あり。江戸時代、東海道五十三次の見附宿の鎮守とされていた。・悉平太郎伝説の天神として有名ですよね。...

令和5年の夏旅 14.可睡斎

[可睡斎]遠州三山の一つで、山号は萬松山。江戸時代には「東海大僧録」として三河・遠江・駿河・伊豆の曹洞宗寺院を支配下に収め、関三刹と同等の権威を持った。風鈴寺として有名なのは知っていたけど、期待の斜め上行く素晴らしさ。...

令和5年の夏旅 13.油山寺

[油山寺]遠州三山風鈴寺の一つで山門は掛川城の大手門。大宝元年(701年) 行基による創建で、油が湧出した事で「油山寺」と命名。天平勝宝元年(749年) 孝謙天皇が眼病平癒を願い、当寺の「るりの滝」の水で眼を洗浄したところ、全快したので勅願寺に。切通しの先の階段のぼって、三重塔と薬師堂。趣のある素敵な寺院で、紅葉シーズン美しいでしょうね。...

令和5年の夏旅 12.小笠山砦

[小笠山砦]永禄12年(1569年) 今川氏真方の掛川城を攻略するために徳川家康の本陣として砦を構築したのが始まり天正4年(1576年) 武田勝頼方の高天神城を攻略するための拠点として大改修し、城主・石川康通は武田方の補給路を遮断した。高天神城落城で廃城し、現在は小笠神社に。・高天神城の彼方に遠州灘まで ! !...

令和5年の夏旅 11.朝日山城

[朝日山城]平安末期、藤原南家工藤氏の末裔・入江清綱が当地に下向、その孫・泰綱が岡部氏を名乗り、源頼朝に仕え築城したとされる。戦国期に入り最後まで徳川家に抵抗した岡部元信の支族・岡部正綱の居城と考えられる。1588年(天正16年) 関東移封に際し廃城。・現在、遺構は朝日稲荷神社に。あまり整備されてないから良く解らん。...

令和5年の夏旅 10.賎機城

[賎機城]応永18年(1411年) 駿河守護に任じられた今川範政による築城とされる。臨済寺の背後にあることから、今川館の詰城と想像するのが普通だけど、、1568年(永禄11年)の武田信玄による駿河侵攻ではあっさりと落城。1582年(天正10年) 徳川家康入府の際にも容易く落城しているから大した事は無かった訳。この際に廃城。臨済寺の背後なのに登城路がなく、浅間神社からの攻略ですが、途中でタイムリミットとなってしまい退...

令和5年の夏旅 9.静岡浅間神社

[静岡浅間神社]総称としての静岡浅間神社で、正式には神部神社・浅間神社・大歳御祖神社の三社。三社は独立した神社であるものの、朝廷以下、鎌倉将軍家・今川氏・武田氏・織田氏・豊臣氏・徳川各氏の尊崇厚く庇護を受けた。特に江戸幕府からは2313石の社領を受けた。大身旗本並みの待遇ね。敷地内に大河ドラマ「どうする家康」館が併設されていて、境内は中々の混雑で(◎_◎;)...

令和5年の夏旅 8.臨済寺

臨済寺前身は享禄年間(1528年 – 1532年)に、今川氏親が出家した子・後の今川義元のために、太原雪斎を招き建立した善得院。天文5年 花倉の乱を制した今川義元が臨済寺に改称。人質時代の徳川家康が当寺で教育を受けた事で有名に。彼方の高層ビル(静岡県庁とか県警本部)のところが駿府城...

令和5年の夏旅 7. 八幡城

[八幡城]1411年(応永18年) 駿河守護となった今川範政が、駿府防衛に築いた城塞の一つとされる1476年(文明8年) 家督継承をめぐる今川家内訌の際、関東から派遣された太田道灌が布陣したと伝えられるとも、京から派遣された伊勢盛時(北条早雲)が築いたともされる。また、この内乱を制し今川氏親が家督を継承した時期に伊勢盛時が在城したとも。・八幡神社から登る事、10分弱で本郭へ。公園化されていて、遺構は良く解らんけ...

令和5年の夏旅 6. 静岡八幡神社(駿府八幡)

静岡八幡神社(駿府八幡)創建 推古5年(597) 有渡八幡宮として鎮座(伝承)古来より駿河に関わる源氏武将(源・今川・武田・徳川)の氏神として崇敬されてきた。「駐車場がないじゃん」と思って鳥居前を往復してたら、祭りの準備してた氏子さんが「中停められますよ」と。本殿裏の階段は通行禁止で、迂回して登城しますけれど、八幡神社の後ろに山が有ったら築城するよね。...