category: 旅行記~2023 真夏の東北歴旅(福島・宮城・茨城) 1/2
2023夏の東北歴旅 27.雑記
2023夏の東北歴旅 26.真壁城

[真壁城]承安2年(1172年) 大掾直幹の子・長幹が真壁郡に入って真壁氏を名乗り築城。以来真壁氏の居城に。慶長7年(1602年) 佐竹氏の秋田転封に際し、佐竹氏の家臣団化していた真壁氏も移住。慶長11年(1606年) 浅野長政 隠居料として真壁藩5万石元和8年(1622年) 浅野長重 加増に伴い常陸笠間城へ移動、真壁城は廃城。茨城県最大級の平城で、現在発掘調査の真っ最中。ただし、本丸以西は住宅地な上に、肝心の本丸を体...
2023夏の東北歴旅 25.鳳台院

[國見山鳳臺院慈眼寺] ↑ 観音堂仁王門永久年間(1113年 – 1118年) 創建文明8年(1476年) 塩谷氏庶流笠間氏が再建。文亀元年(1501年) 領主笠間朝貞が死没、法名が「鳳台院殿 以修翰翁 大居士」。ここから国見山鳳台院と称するように。江戸時代に入ると曹洞宗禅の道場となって多くの禅僧を育て、全国に末寺が百十余ケ寺があったと伝えられている。↑ 観音堂と五重塔↑ 達磨大師と本堂↑ 世界最大級の...
2023夏の東北歴旅 24.小幡城

[小幡城]室町中期、大掾詮幹の三男義幹による築城 /鎌倉時代、小幡光重(鎌倉殿の13人・八田知家の孫)による築城等、諸説有り。戦国時代に入ると小幡氏は江戸氏配下となり、大掾氏との攻防戦において最前線となった。何れの氏も悉く佐竹氏によって滅ぼされたり没落したり。訪れた誰もがつぶやく「迷路じゃん!」城域に入ると幅広くて深い空堀を進むしかなく、それはまさしく"迷路 !"遺構の現在ですら壁の様な土塁に囲まれている訳...
2023夏の東北歴旅 23.酒列磯前神社

[酒列磯前神社/さかつらいそさきじんじゃ]創建 斉衡3年(856年) 常陸国鹿島郡の大洗磯前に神が現れたとされる。 by『日本文徳天皇実録』中世になって廃絶・社殿もなくなっていたところで、水戸藩2代藩主・徳川光圀が造営起工、3代藩主・綱條により現在地に遷座再興。この本殿までの参道の樹々が凄いの!鳥居から海 !...
2023夏の東北歴旅 23.石神城

[石神城]延徳元年(1489年) 伊達・葦名・結城連合軍vs佐竹氏 合戦中、佐竹義治の身代わりとなって八百岐館主小野崎通綱が討死。 この功によって通綱の子通老に石神の地を与えられる。延徳2年(1490年) 小野崎通老が当地に築城。ここから石神氏を称した。戦国中期、謀反起こしたり、領地を巡り、同族・額田小野崎氏と抗争を繰り返す等で一時没落。石神城に復帰後は本家に尽くし、...
2023夏の東北歴旅 22.額田城

[額田城]建長年間(1249~56年) 佐竹氏四代義重の二男義直による築城。 義重の代で御家人の地位を盤石にし、二男/額田氏、三男/真崎氏、四男/岡田氏、六男/岡部氏と庶家を興した。応永30年(1423年) 額田十代義亮は宗家と対立し、佐竹氏十三代義人に攻められ落城、額田氏は滅亡し小野﨑氏が城代に天正19年(1591年) 小野崎照通は伊達政宗に通じ謀反の疑いを掛けられ、佐竹義宣に攻め...
2023夏の東北歴旅 20.稲村神社

[稲村神社]云われがごちゃごちゃしてるけど「続日本後紀」「日本三大実録」に記されてる半端なくて古い神社。元禄4年(1691年) 徳川光圀によって色々整理されて、元禄6年(1693年)に現在地に社殿を造営した。台地に接する尾根伝いと云う地形からして、馬坂城に付帯する施設だった可能性は有りかな。伐採した巨枝が手水所の屋根に落下して、建物が倒れ掛かった状態で放置されておる Σ(・□・;)。...
2023夏の東北歴旅 19.馬坂城

[馬坂城]・ 天仁2年(1109年) 太田城を築城した藤原通延(藤原秀郷四世)の一族が、天神林氏を称し築城したと伝わる。・ 長承2年(1133年) 新羅三郎源義光の孫昌義が京より下向し、2年余り観音寺(後の佐竹寺)に居住した後、近隣の馬坂城を奪いとって居城とした。 佐竹氏3代隆義が太田城に転居後は、 稲木氏・天神林氏等の庶子傍流一族が居住していたが、何れも一族内紛で没落。・ 1602年(慶長7年)の佐竹氏の秋田移封に...
2023夏の東北歴旅 18.常陸太田城

[常陸太田城]・ 天仁2年(1109年) 藤原通延(藤原秀郷四世)が、太田大夫と称して築城したのが始まりで3代にわたり居城とした。・ 後三年の役(1051年~1062年)後、新羅三郎義光の孫・源昌義が功により当地を領有することに。 二代佐竹隆義が太田城に入り、服属した太田城主・藤原通盛は北東の小野崎城に入り、小野崎氏を称した。 以後、関ヶ原合戦後の秋田転封まで佐竹氏の居城に・ 慶長7年(1602年) 佐竹義宣54...
2023夏の東北歴旅 17.久米城

金砂城から県道29号を南下する事30分で久米城。公道入った所に駐車場と案内板があります。ここでトレッキングシューズに履き替えようとしたら、踵からソールがベロンと剥がれかかっておる (◎_◎;)普通のスニーカーで登城する事に・・・・・・・滑るぞ。[久米城]鎌倉時代、御家人大掾氏が館を構えたのが始まりと伝えられる。後に小野崎氏が城郭化し、久米氏を名乗り居城とした。文明9年(1477年) 佐竹14代義治は久米氏を部垂城...
2023夏の東北歴旅 16.金砂城

[金砂城]治承4年(1180年) 佐竹秀義による築城(伝) 平時の常陸太田城に対して詰城としての金砂城。治承4年(1180年) 平家方佐竹氏討伐に鎌倉の源氏方に攻められ落城。因みに味方の裏切りから。建武3年(1336年) 北朝方佐竹貞義は上洛する北畠顕家軍に敗れ、更に楠木正家に攻められ、太田城を捨てて金砂城に籠城。明応元年(1492年) 佐竹本家vs佐竹庶家の山入一揆の際も、佐竹義舜は金砂城に籠城した。因みに太田城奪還に10余年を...
2023夏の東北歴旅 15.茨城ジャンダルム

[茨城ジャンダルム]生瀬富士から200メートル位の馬の背を歩いて突き当りまで。ここが通称"茨城ジャンダルム"本家は穂高ですよね。有名な天使のモニュメントが無いのは残念。ここでゆっくりと朝食。方向が全く解らん。...
2023夏の東北歴旅 14.生瀬富士

車中泊した[道の駅奥久慈]から15分で到着した袋田の滝町営第一駐車場。駐車場正面のア案内板従って住宅地を登っていくと登山口。紛らわしい看板じゃない方から登ります。ロープ部分もあるけれど、ほぼ普通の山歩き。ただ前日までの雨のお陰で道は泥濘だし、虫が凄くて結構難儀。生瀬富士の山頂はチョット狭いので即移動どっち方面か解らん。本命はあの先端なんだな。...
2023夏の東北歴旅 13.松岡城(龍子山城)

いわきFCパークから常磐自動車道で茨木県、佐竹領内に入ります。いわき湯本ICへ向かう道すがら、ハワイアンリゾートの看板発見して、「うわっ泊まりて―」と瞬間悩んだんだな。[ 松岡城(龍子山城) ]応永年間(1394年〜1428年) 当地を支配していた大塚氏による築城と云われる。佐竹氏-岩城氏に挟まれた大塚氏に関しては文献少なくて、戦国最晩年、岩城氏家老格だったものの改易後は伊達氏家臣石川家の家臣に。[松岡藩]慶長7年(1602...
2023夏の東北歴旅 11.湯長屋陣屋

[湯長屋陣屋/湯本藩/湯長屋藩]1670年(寛文10年) 磐城平藩主内藤忠興の隠居に際し、2男遠山政亮に1万石分与され支藩として成立。本家が日向延岡に移封されても領地そのままで、14代で維新を迎えた。4代内藤政醇が映画「超高速参勤交代」のモデルとなった。それだけの理由で立ち寄りましたが、陣屋跡地は現在中学校で校庭に石碑のみ。...
2023夏の東北歴旅 10.磐城平城

相馬中村城から常磐自動車道で磐城平城へ。色々な光景観ました。[磐城平城]1600年 関ヶ原合戦で西軍についた岩城氏は追放。1602年 鳥居忠政 下総国矢作4万石 →10万石 ・ 地名を飯野平→磐城平に ・ 飯野八幡宮を移転して磐城平城を築城開始、磐城平城完成は1615年。[磐城平藩]1600年(慶長7年) 岩城貞隆 12万石 改易1602年(慶長7年) 鳥居忠政 下総国矢作4万石 → 1...
2023夏の東北歴旅 9.相馬中村城

冥護山館から国道113号を南下して再度福島県へ。浜通りは初めてです。[相馬中村城]延暦年間(800年頃) 坂上田村麻呂による築城と云われる。延元2年(1337年) 中村朝高がこの地に「中村館」を構え、戦国時代初期まで中村氏の居館に。戦国中期、中村氏に代わって相馬氏が支配、伊達氏との攻防最前線となる。慶長16年(1611年)、相馬利胤は、本城を小高城から中村城に完全移転。[中村藩]関ヶ原合戦の際、縁戚佐竹氏の関係で西軍...
2023夏の東北歴旅 8.冥護山館

桑折町から宮城県丸森町、1時間弱の半分を阿武隈川とランデブーして東へ東へ。[冥護山館]永禄8年(1565年)頃~天正12年(1584年) 伊達VS相馬の渦中で、相馬方が築かれた陣城であるが伊達氏に奪い取られて拠点にされてしまった。柴小屋-冥護山館-金山のラインで伊達に対峙していたものの、真ん中取られたら逆に楔撃ち込まれた状態で形勢逆転するわな。墓地駐車場の目の前が登城口。入って間も無く気が付いたけど、案内板以上に複雑で...
2023夏の東北歴旅 7.桑折西山城

舘山城から国道13号で桑折西山城へ。ここは高速道路ルートと10分程度の差なので下道選択したんだけれど、飯坂温泉街とか車窓が楽しかった。観音寺に駐車場と登城口が整備されて先客2組[桑折西山城](伝承)文治5年(1189年) 奥州合戦の軍功によって、伊達郡を与えられた常陸入道念西が居館を構えた。応永年間(1400年頃) 9代伊達政宗が鎌倉公方と抗争になった際に立て籠もった赤舘もこの西山城と言われている。いる。・天文元年(1...