category: 旅行記~戦国を歩く 2020秋(愛知) 1/1
2020秋 戦国を歩く 14.桶狭間古戦場

[桶狭間古戦場]等身大銅像に加えて、桶狭間合戦に至る各軍の進軍ジオラマが展開されていて、これが思いの外面白かった。高徳院に隣接する公園部分が桶狭間古戦場伝説地。江戸時代に建立された今川義元墓碑の他、七石表(家臣討死場所をしめすもの)、弔古碑が建てられている。高徳院今川義元の墓の他、本堂には義元の木造が安置されている。予定行程終了して、時間は16時。もう一つ城郭を・・・・と思ったものの、ここは無理せず長...
2020秋 戦国を歩く 13.沓掛城

[沓掛城]愛知県豊明市 応永年間(1394~1428年) 藤原義行による築城。ここは諸説あり。明応1年(1492年)頃から近藤氏9代近藤景春が桶狭間合戦で討死するまでの居城となった。桶狭間合戦の際、今川義元は討死する前日を当城で過ごした。永禄3年(1560年) 桶狭間合戦後、簗田政綱が城主となった。 天正4年(1576年) 簗田広正は加賀国大聖寺城へ転身。 信長の弟・織田信照、続いて川口久助が城主となる。 ...
2020秋 戦国を歩く 12.刈谷城

[刈谷城]愛知県刈谷市天文2年(1533年) 水野忠政による築城。 忠政の娘・於大が松平広忠に嫁き生まれたのが徳川家康。 忠政の跡を継いだ信元は織田氏と結んだ為、広忠は於大を離縁。永禄3年(1560年) 桶狭間合戦の際、信元は緒川城へ入り、刈谷城は弟・信近が守将に。 今川義元横死を受けて鳴海城の岡部長教に攻められ落城し信近は討死。しかし信元はすぐさま奪還天...
2020秋 戦国を歩く 11.安祥城

[安祥城]永享12年(1440年) 和田親平による築城で、当初は居館であった。文明3年(1471年) 岩津松平信光が謀略で無血落城させ、以後松平氏四代の居城となった。長享3年(1489年) 信光病死後、三男親忠が安祥城を継承し、安祥松平の祖となり、やがて松平本流となった。大永4年(1524年) 4代清康は岡崎城を攻略し、以後は安祥城・岡崎城が併用拠点に。天文9年(1540年) 森山崩れで松平氏が...
2020秋 戦国を歩く 10.東条城

[東条城]愛知県西尾市 (標高28メートル / 比高25メートル)築城年代は不明。承久3年(1221年) 足利義氏による築城が有力で三男義継を入れる。以後、東条吉良氏14代の居城となった。 吉良氏は足利一門として栄え、東条の地は三百余年、足利・吉良氏の三河・遠江支配の重要拠点であった。永禄4年~6年(1561~1563年) 松平氏の相次ぐ攻撃に敗れて吉良義昭は降伏退城、青野松...
2020秋 戦国を歩く 9.豊川稲荷

[豊川稲荷]嘉吉元年(1441年) 曹洞宗法王派・東海義易による創建。天文5年(1536年) 今川義元が山門を寄進。 これが現存最古(写真上)明治4年(1871年) 神仏分離令の取り調べでは、西大平藩が政府と折衝したお陰で穏便な取り扱いに。戦国時代は名だたる武将から帰依を受け、江戸時代に入ると、大岡忠相・渡辺崋山らが信仰する立身出世、盗難避けの神として人気を集めた。到着したのは雨上がりの午前10時。境内は...
2020秋 戦国を歩く 8.賀茂神社

[賀茂神社]天平元年(729年) 山城国賀茂別雷神社を勧請しての創建。天文12年(1543年) 今川氏親が神領として298貫を寄進。永禄11年(1568年) 遠江入国に先立って徳川家康は参拝し、武運長久を願い大幡を奉納。元亀3年(1572年) 三方ヶ原合戦で敗れた徳川家康が一時的に潜んだ。 慶長8年(1603年) 徳川家康から朱印100石を寄せられる。 小雨交じりの参道歩いていて、頬に"ピッ"と触れる感覚が強烈...
2020秋 戦国を歩く 7.野田城

[野田城]愛知県新城市 (標高50メートル / 比高20メートル)1508年(永正7年) 菅沼定則による築城。 菅沼定則は田峯菅沼氏から設楽富永氏に養子で入り、野田菅沼氏初代。1561年(永禄4年) 桶狭間の戦い後、今川氏を離反した3代定盈だが今川勢に攻められ開城退去。1562年(永禄5年) 夜襲で奪回したものの損壊激しく、野田城は大修築。定盈は大野田城を本拠に。1571年(元亀2年) 武田氏の遠江・三河侵攻...
2020秋 戦国を歩く 6.長篠城包囲網

鳶ヶ巣砦長篠城攻城の際、構築された陣城の一つで、武田信実・小見山信近らが陣を敷いた。戦場が設楽原に移行すると、籠っていた主力も移動し、最小限の将兵で守備したが酒井忠次軍の急襲で全滅。最も高い曲輪跡に案内碑で、その先下ったところがやはり曲輪跡で、ここから長篠城が一望。川からの補給ルート遮断の他、架橋掛ける目的もあったのでしょうか。牛淵橋を渡り、69号線との交差点を直進しますが、集落内から駐車場までの道...
2020秋 戦国を歩く 5.長篠城

[長篠城]愛知県新城市 (標高60メートル / 比高30メートル) 日本100名城-46番 / 国指定史跡1508年(永正5年) 菅沼元成による築城。 彼を祖とする長篠菅沼氏は今川配下になるが義元横死後、松平麾下に転じた。1571年(元亀二年) 武田軍三河侵攻で天野景貫に攻められ、菅沼正貞は菅沼総家に説得され武田軍に降伏。1573年(元亀四年) 武田軍は甲斐撤退。信玄死去の混乱を突いて、家康に攻められ正貞は開...
2020秋 戦国を歩く 4.長篠設楽原合戦古戦場

長篠設楽原SAからアクセス出来るのが、織田信長の本陣跡。ここかなりの安全圏(笑)。対して徳川家康の本陣は丘陵にこそあるものの、武田最強の山県昌景軍と対峙して、その距離僅か250メートル激戦地近くに再現された馬防柵で前方には田圃と云う天然の障子堀。 ・織田・徳川連合軍3万8千は川に沿って丘陵地が点在する地形を利用して、川の両側を削って傾斜を厳しくした上で、土塁を築いて、その上に馬防柵を設置した。それ解っ...
2020秋 戦国を歩く 3.松平東照宮

[松平東照宮]元和5年(1619年)、松平太郎左衛門家9代松平尚栄が、八幡宮(現在の松平東照宮)に東照大権現を勧請。この敷地が松平氏館の跡地で石垣・濠は当時のものだという。松平/徳川発祥地だから相当豪勢なものを期待していたら、逆に地味過ぎてビックリ。破天荒キャラな初代・松平親氏像松平氏の菩提寺高月院まで行く元気はもうなかった。連休初日の夕方、駐車場は7~8台程度。ただし遠県が多かった。...
2020秋 戦国を歩く 2.松平城

[松平城]愛知県豊田市 (標高300メートル/比高60メートル) 国史跡応永年間(1394年〜1428年) 松平親氏による築城。諸国を流浪した勧進坊主・徳阿弥が松平村の名主松平太郎左衛門信重宅に滞在した折に、娘を娶って還俗し松平親氏と名乗った。上野国の新田氏の末裔を称する、謎の婿養子・松平親氏は忽ちの内に近隣18村を切り取り従える活躍を見せたが、まぁこの辺は諸説色々。彼が初代で徳川家康が9代目。2代泰親と、3代...
2020秋 戦国を歩く 1.大給城

9月19~22日の4連休は21日(月)が仕事になってしまったので、一泊二日の三河小旅行を決行。[大給城]愛知県豊田市 (標高207メートル / 比高130メートル) 土豪長坂新左衛門の居館を松平氏3代松平信光が攻め落とし、三男松平親忠に与えた。松平親忠が安祥城に移った後、その次男乗元が大給城に入り、大給松平家が始まった。1507年~1510年(永正3~7年) 乗元とその子松平乗正によって中世城郭に改修...