category: 歴史・史跡・芸術  1/7

マーベル展に行ってきた

公式サイト行ってきた方のブログで知ったマーベル展。日曜日の午前9時過ぎ―― 開場1時間に行ったら並んでいたのは10名程度。それが開場近くになったら、えらいことになってた。いきなりのお出迎えはアイアンマン。これは夜の方が映えるなぁ。スパイダーマンのここからスタート     50Fのホットトイズストアには等身大フィギュアグッズで結構な散財致しました。4F吹き抜けにも実物大フィギュア実物大と言っても、この二...

続100名城決定

昨日 4/6は城の日。それに因んで発表されたのが[続100名城]「何で〇〇城は入ってないの?」的な意見多々有りましたけれど、今回でかなりの城マニアが納得するレベルで網羅されたかと思います。まぁ俺ちゃんレベルでも「あれっ、あの城は?」もありますけれど。今夏以降の旅行の日程組むのが難しくなったなぁ。駅前、町中が有る一方で、アクセス悪い・プチ登山な城郭、離島って・・・・・(嬉しい悲鳴系)行政、教育委員会...

後北条氏の威光と遺構へ - 小田原城(再訪)

斜面はミカン畑小田原城西湘バイパスからのブルーウェイブリッジ。夜の運転、気持ち良さそう馬出門 - 銅門 - 常盤木門 - 天守閣とりあえず日程終了 小田原駅で駅弁+ビール買って長野へ帰ります。    ...

後北条氏の威光と遺構へ - 石垣山城

 東海道線車中で向いに座ってたOL同期5人組の会話が衝撃過ぎた。後日書こうかな。早川駅で降りて案内板に従って石垣山城目指します。1441年 大森氏により建立の海蔵寺には小田原陣没した堀秀政の供養塔。“名人久太郎”こと堀秀政はこの時18万石。急逝しなければ、蒲生氏郷並の所領になったかと。 40分位かな? ひたすら登り坂を歩いた。 旧城道 東登口 / 南曲輪の南面石垣 崩落した石垣は関東大震災によるもの 二の...

鎌倉北条氏と後北条氏の遺構 4 - 鎌倉北条は伊豆北条

   守山城長禄二年(1458) 鎌倉公方として下向した足利政知が鎌倉に入ることが出来ず、堀越に御所を営んだ。この際、堀越御所の詰城として背後の山に整備したのが守山城らしい。後に堀越公方を滅ぼして伊豆を平定した北条早雲は韮山城を居城に。守山城は支城として利用されたかと。小田原戦役の韮山城攻めで守山城も豊臣方の付城として利用され、現在残っている遺構はこの際のもの。西側の公園脇から登ったら、意外と急斜面で難...

鎌倉北条氏と後北条氏の遺構 3 - 江川邸から北条の里へ

江川邸江戸時代、世襲代官務めた江川家の邸宅開幕当初は4,800石程度が、紆余曲折あって5~10万石を支配した。幕末、江川太郎左衛門(代々踏襲)英龍が反射炉を築造してメジャーに。 堀越御所跡鎌倉公方として下向した筈の足利政知だったが関東に入る事は出来なかった。止むを得ず、この地に館を構えたとされる。足利成氏が古河で公方(古河公方)を称したのに対して、堀越公方と呼ばれた。北条政子産湯の井戸まぁ、ただの井戸...

鎌倉北条氏と後北条氏の遺構 2 - 韮山城

 案内板を見ていたら、散歩中のおじさんに案内された。 丘陵に沿って縦に曲輪が連なっている割と標準的な平山城。  韮山城文明年間(1469年~1486年) 堀越公方足利政知家臣、外山豊前守の築城とされる。延徳5年(1491年) 2代堀越公方足利茶々丸を攻め滅ぼした伊勢盛時が本拠地として本格的に造営。伊勢盛時 ――のちの北条早雲は韮山城を拠点に伊豆を制圧。後に相模を領土にした後も小田原城に移らず、生涯をここで過ごした...

鎌倉北条氏と後北条氏の遺構 - 1 蛭ヶ島

 予定より2本早いバスで三島駅に戻って来た。伊豆箱根鉄道で韮山に向かうけれど時間に余裕ないので昼食は断念。因みに伊豆箱根鉄道はSuicaが未だに使えない! 三島から18分で韮山中世の一時期は関東の中心だったところ。ビールロング缶でエネルギーチャージ完了。案内板見て、80分程の行程と踏んでいたんだけど・・・・ 史跡へ向かう舗道が整備。歴史エピソードを描いたタイルが埋め込まれておる。蛭ヶ島平治の乱で敗...

後北条氏の威光と遺構へ - 山中城 岱崎出丸

本城へ向かう敵兵を挟撃、また尾根伝いに登って来る敵兵を牽制する目的な出丸。近年の調査で改修工事が途中だった事が判明している。案内が無ければ、ただの公園、広場です。一の堀かつては沼津~韮山まで一望出来たそうで。旧東海道は石畳が復元。三島大社三島市は三島大社の門前町で人口11万くらい。バスから眺める分には、閉じっぱなしの店が少ない商店街だった。    ...

後北条氏の威光と遺構へ - 山中城 2

 西の丸西側障子堀 / 二の丸 二の丸下を北の丸へ。歩きにくい。 北の丸 / 本丸への木橋 本丸下 武具庫があったとされる庭 / 二の丸から西の丸を望む 二の丸へ向かう虎口。ここだけ少し急斜面で、濡れている時は歩かない方がいいかも。堀と土塁は当時の深さ/高さは失われているんだろうけれど、それ程の脅威があったかな。豊臣側の力攻めが別格だったのは間違いないけれど、組し易しの城郭だったと思う。旧東海道を横断...