category: 歴史・史跡・芸術  1/10

上野国 ・ 後閑城

[後閑城]二ノ丸櫓台の模擬物見櫓は入場禁止1441年-1447年 信濃御嶽城主・依田内匠頭忠政が築城。1560年 長尾景虎(上杉謙信)の第一回関東出陣で多くの国人が靡く中、新田信純は武田支持を鮮明に。1566年 武田信玄によって箕輪城が攻略した際と、新田信純が後閑城主として入城し、以後後閑氏を名乗った。       武田氏滅亡後は必然北条氏1590年 小田原征伐では松井田城の大道寺政繁の指揮下に入...

上野国 ・ 松井田城

[松井田城]1560年前後の築城とされるが 当地には安中忠親の松井田西城と松井田諏訪氏の諏訪城が有ったとされ、どちらかを大改修したのが松井田城と考えられる。時期考えると対武田ですね。1564年 その武田に降伏。1575年 長篠で安中忠政戦死1582年 1.2.3月 武田 /高遠で城代小山田昌成戦死       4月    北条 /後閑氏が占拠       5.6月  織田 /滝川一益の与力津田秀政  ...

下野国 ・ 飛山城

[ 飛山城 ] (国史跡)永仁年間(1293年-1298年) 宇都宮景綱の家臣・芳賀高俊の築城とされる。南北朝では当然の北朝方だけど敗れっぱなしで落城も経験。戦国期に入り、芳賀氏は没落したものの宇都宮氏の縁戚として後北条に対抗。1590年 小田原征伐後の宇都宮仕置で宇都宮氏18万5千石の所領を安堵された一方で「いらざる城は破却せよ」との命で廃城。1597年 後継をめぐる問題で宇都宮氏、芳賀氏共に改易。     ...

下野国 ・ 壬生城

[壬生城]文明年間(1469年~1487年) 壬生綱重による築城とされ、以降、壬生氏4代の居城となるが壬生義雄の代で本拠は鹿沼城となり、壬生城は支城に。1590年 小田原征伐で壬生義雄は義弟・皆川広照とともに北条方に付き、小田原城内で病没。嗣子無く断絶。 壬生藩1590年 結城秀康  結城11万1千石  壬生城は支城1600年   〃     ⇒ 越前北庄68万石1600年 日根野吉明  信濃高島 ⇒1万90...

下野国 ・ 皆川城

 [皆川城] (栃木市史跡)下野守護 小山氏支流、長沼氏の庶家にあたる皆川氏の居城。築城年代は諸説有るけれど、永享年代が有力とされる。宇都宮氏に従属離反を繰り返した後、後北条氏に降伏。小田原征伐で上杉軍に攻められ降伏、当主皆川広照の方も小田原入城したものの、家康を介して降伏。1591年 広照が栃木城を築いて本拠を移したため廃城。皆川広照は忠輝の付家老として有名ですね。 別名「法螺貝城」と呼ばれてい...

比企城館跡群 ~ 杉山城

 [ 杉山城 ] (国指定史跡/続日本100名城-119番) 玉ノ岡中学校下の交差点に斜め登る道が有って、その先にある積善寺下に駐車場。 大手口から既に感嘆する縄張り     虎口、空堀、堅堀、横矢掛かり・・・・見事なんだな。 近年の研究で長享の乱のあと、山内上杉氏が築城したとされている。これほどの高度な縄張を持っているのに文献が存在しない、資料が見当たらない謎の城。   地元ボランティアの皆様の草刈、隣接...

比企城館跡群 ~ 小倉城

[小倉城] (比企城館跡群の一つとして国史跡) 登り口は沢山ある山城で、最もメジャーな大福寺を目指していたら手前に山道入り口を発見。かなり上まで行けちゃいますが運転は要注意。 中腹からの登城という事も有るけれど、急すぎず狭くもないのでちょっとしたハイキングコース。ただし暑すぎ。 山そのものが岩山なので、築城の際発生した石材で石塁を随所に構築した。戦国期の関東では珍しい。築城時期、城主は不明。北条...

比企城館跡群 ~ 菅谷館

[ 菅谷館 ]  国指定史跡/続日本100名城-120番 254バイパスから入る部分が搦手門跡 博物館でパンフレットを頂いて出ると三ノ郭跡ニノ郭に立つ畠山重忠像菅谷館は治承・寿永の乱で活躍、幕府創業の功臣として御家人に名を連ねた畠山重忠が築城。その畠山重忠は幕府の実権を握っていた政敵北条氏に謀殺。室町時代 太田道灌の子資康が長享年間に居城したとも云われ、この時期には現在の縄張りになっていた模様。1546年の...

比企城館跡群 ~ 松山城

[ 松山城 ] (比企城館跡群の一つとして国史跡)1399年 扇谷上杉氏家臣上田友直が対山内上杉の拠点として築城。ただし新田義貞が鎌倉の北条高時を攻めた際、松山に要害を構築した記録有り。 登城口周辺は不法投棄されたゴミが散乱していて見苦しい事半端ない。 比高40メートル位なのであっさりと本曲輪まで行けた。戦国期は北条を防いで、北条に落とされ奪還したものの、調略で再度落とされる。上杉・武田軍にも攻めら...

後北条氏の威光と遺構へ - 滝山城

[滝山城] 続日本100名城 - 123番 登城口から堀底道 1521年 山内上杉武蔵守護代大石定重が築城、高月城から移ったとされるが真偽は不明。1546年 河越夜戦で扇谷上杉氏を滅ぼした北条氏康は、三男氏照を大石定久の娘婿に入れ大石氏を傘下に収めた。 1558年 北条氏照は10年に及ぶ城の大改修を開始。1569年 武田軍別働隊の小山田信茂隊により、滝山城三の丸まで攻め込まれ落城寸前にまで追い込まれる。 ...