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category: 旅行記~2020夏の北関東歴史旅(群馬栃木茨城)  1/2

2020 夏の北関東歴史旅 27.柳生の三県境

全国にある三県境40の内、唯一平地にあるのがここ。接しているのは群馬県邑楽郡板倉町海老瀬 ・ 栃木県栃木市藤岡町下宮 ・ 埼玉県加須市小野袋道の駅きたかわべで昼食獲った後に訪問。ここの道の駅訪れる人の多くは、三県境目当てですね。この後、城跡2か所予定していたけれど、急に面倒くさくなっちゃって、今回の歴史旅終了。コストコ行って、ワインとおつまみセット買いこんで帰宅。...

2020 夏の北関東歴史旅 26.古河公方館

[古河公方館]茨城県古河市享徳4年(1455年) 古河公方足利成氏による築城。享徳の乱で鎌倉を駿河守護今川氏に占拠された関東公方成氏が身を寄せた古河。初期に築いたのが古河公方館で、その後は修築した古河城へと移った。天正18年(1590年) 小田原征伐後の仕置きで、古河公方足利氏姫は古河城を退去し、鴻巣御所に移り以後氏姫の居館となる。寛永8年(1630年) 氏姫の孫尊信は領国である下野国喜連川に移住し、...

2020 夏の北関東歴史旅 25.古河城

[古河城]茨城県古河市 治承4年(1180年) 源頼朝に従った下河辺行平が立崎に城館を築いたのが始まり。享徳4年(1455年) 今川範忠に鎌倉を占拠されると五代鎌倉公方足利成氏は古河に本拠を移し古河公方が成立。              室町幕府は関東管領上杉氏を支持し、新たな鎌倉公方として足利政知(堀越公方)が東下する。              ここから戦国時代終盤まで、古河城は歴史の中心になっ...

2020 夏の北関東歴史旅 24.結城城

[結城城]茨城県結城市寿永2年(1183年) 結城朝光による築城。 結城朝光は小山政光の四男で、志田義広の乱制圧の功により結城郡地頭職を補任。以降400年に渡り、結城氏の居城に。天正18年(1590年) 小田原征伐の際、結城晴朝は早々に参陣し、10万石の安堵される。              さらに秀吉の養子となっていた徳川家康の二男秀康を養子に迎える。慶長6年(1601年) 結城秀康 12万石 → 越前...

2020 夏の北関東歴史旅 23.下館城

[下館城]茨城県筑西市天慶3年(940年) 藤原秀郷による築城。             藤原秀郷は承平天慶の乱で平将門討伐のために東国に下向し、上館(久下田城)・中館(伊佐城)・下館(下館 城)を築いたという。文明10年(1478年) 結城氏家臣水谷勝氏が下館城を築き代々の居城となる。 天正18年(1590年) 小田原征伐後の仕置きで水谷氏は主家結城氏から独立した大名として、3万1千石を安堵された。慶長5年(1...

2020 夏の北関東歴史旅 22.桜町陣屋

[桜町陣屋]栃木県真岡市 (国指定史跡)元禄12年(1699年) 宇津教信による築城。 宇津教信は小田原藩主大久保忠朝の三男で、小田原藩の飛領地・下野国芳賀郡内の4000石を分地され交代旗本になる。この際、大久保氏の元の姓である宇津氏を名乗った。              文政4年(1821年) 宗家小田原藩から二宮尊徳が派遣される。これは当初4000石とされた土地が、100年足らずのうちに土地が荒廃し1...

2020 夏の北関東歴史旅 21.真岡城+真岡陣屋

[真岡城 / 真岡陣屋]栃木県真岡市 諸説あるが貞治元年(1362年) 芳賀高貞による築城が有力とされ、御前城から移転。天正5年(1577年) 芳賀高継が後北条氏侵攻に備えて大改修。慶長2年(1597年) 宇都宮氏改易。慶長6年(1601年) 浅野長政の三男・長重が2万石で真岡藩立藩慶長16年(1611年) 浅野長重 →常陸真壁藩5万石慶長16年(1611年) 堀親良  →1万2000石寛永4年(1627年...

2020 夏の北関東歴史旅 20.西明寺+西明寺城

[西明寺]真言宗豊山派の寺院で山号は独鈷山、院号は善門院。天平9年(737) 行基菩薩の草創。          紀有麻呂によって建立される。[西明寺城]栃木県芳賀郡益子町 (標高302メートル / 比高200メートル)京都から移住してきた紀氏(後の益子氏)が本拠を構え、康平年間(1058~65年)紀権守正隆によって築城されたとされる。南北朝時代、西明寺城は南朝方の関東六城(常陸国関城・常陸国真壁城・常陸国大...

2020 夏の北関東歴史旅 19.茂木城

[茂木城]栃木県芳賀郡茂木町 (標高163メートル / 比高40メートル) 建久3年(1192年) 宇都宮氏の支族である茂木知基による築城で、以降400年にわたり茂木氏の居城。弘治2年(1556年)佐竹氏に攻められてから佐竹氏に臣従した。文禄3年(1594年) 茂木治良は佐竹義重の命によって常陸国小川城に転封、佐竹家臣の須田盛秀が茂木城代に。慶長7年(1602年) 佐竹義宣が秋田へ転封となり廃城となった。慶...

2020 夏の北関東歴史旅 18.山根城

[山根城]  栃木県芳賀郡市貝町 (標高120メートル / 比高30メートル)建久年間(1190~1199年) 那須資隆 の十男為隆による築城。千本城の支城群の一つで、先行して築かれた芦原城と堀切で隔てただけなので、芦原-山根城郭群かな。天文20年(1551年)、千本資俊が主家の那須高資を千本城内で謀殺した際、宇都宮氏からの恩賞が文谷/市花輪であったという。天正13年(1585年) 那須資晴によって、城主千...

2020 夏の北関東歴史旅 17.村上城

[村上城]栃木県芳賀郡市貝町 (標高172メートル / 比高70メートル)歴史は割と古く、平安時代末期には有ったとされる。永和4年(1378年) 益子正宗の次男村上新助良藤が築城し、以降3代で約50年間居城とした。麓の観音山梅の里駐車場でなくて、永徳寺参詣者用駐車場を利用。石段手前に「村上城跡」の石碑、説明板、観音堂の横が登り口で説明板が建てられている。鳥居をくぐって本丸へ向かう道が切通しでこれがぐる...

2020 夏の北関東歴史旅 16.伊王野城

[伊王野城]栃木県那須郡那須町 (標高326メートル / 比高110メートル)長享1年(1487年) 伊王野資清による築城で、麓の館から移動した。天正18年(1590年) 那須七騎の一人伊王野資信は、主家那須氏に従わず、那須衆として豊臣秀吉の小田原城攻めに参陣した。沼津まで秀吉を出迎えた大関氏・大田原氏が大名として所領安堵されたのに対して、他の那須衆は小田原に参陣のみ。これが遅参と扱われ、伊王野氏は本領のみ...

2020 夏の北関東歴史旅 15.那須神社

[那須神社]創建は仁徳天皇(313~399年)時代延暦年中(782~806年) 征夷大将軍坂上田村麻呂が応神天皇を祀って八幡宮にしたと伝えられる。その後は那須氏、那須氏没落の後は黒羽城主大関氏の氏神としてあがめられ、天正5年(1577年)には大関氏によって本殿・拝殿・楼門が再興。明治6年(1873年)に現在の那須神社に改称。神社隣の道の駅の那須与一像。流鏑馬が開催される長い参道。...

2020 夏の北関東歴史旅 14.大田原城

[大田原城]栃木県大田原市 (標高220m / 比高50m)天文12年(1543年) 大田原資清による築城で、完成とともに水口館から居城を移した。               大田原氏は那須七騎の一つで、この際に「大俵」から「大田原」氏へと名を改めた。天正18年(1590年) 大田原晴清は、小田原征伐の際、主家那須氏に先んじて小田原に参陣し、豊臣秀吉に謁見、本領七千石余を安堵された。慶長5年(1600年) 関...

2020 夏の北関東歴史旅 13.川崎城

[川崎城]栃木県矢板市川崎反町 (標高230m / 比高50m)正治・建仁年間(1199~1203年) 宇都宮業綱の次男・塩谷朝業による築城。                       塩谷朝業は鎌倉幕府の有力な御家人であるが歌人としても著名で、実朝とも親交を結んだ。天正17年(1589年) 19代義綱は豊臣秀吉に謁見し、所領安堵されたものの、有力家臣岡本正親らが独立したので領地は大幅削減文禄4年(1...

2020 夏の北関東歴史旅 12.喜連川陣屋+倉ヶ崎城

[喜連川陣屋 + 倉ヶ崎城]文治2年(1186年) 塩谷五郎惟広によって築かれたと云われる。             塩谷惟広は源平合戦で大功を立て、当地を拝領した。以降、17代400年余りに渡って、塩谷氏の本拠となった。天正18年(1590年) 小田原征伐の際、17代・塩谷惟久は小田原へ参陣しなかった為に改易された。 小田原征伐後、名門・足利氏の断絶を惜しんだ豊臣秀吉は、古河公方家・足利氏姫を小弓公方家...

2020 夏の北関東歴史旅 11.勝山城

[勝山城]栃木県さくら市  別名/氏家城建久年間(1190年 - 1199年) 氏家公頼による築城。                   氏家公頼は宇都宮朝綱の子で、源頼朝上洛にも同行した有力御家人南北朝時代に入り、氏家氏は6代で家系絶え、芳賀高家の子、芳賀高清が飛山城から入り、芳賀氏の支城に。戦国時代に入ると、宇都宮氏vs那須氏の最前線慶長2年(1597年) 宇都宮氏改易に伴い勝山城廃城。西側を鬼怒川と接する崖...

2020 夏の北関東歴史旅 10.多気不動尊

[多気不動尊]弘仁13年(822年) 日光開山勝道上人の弟子尊鎮法師により、馬頭観音を御本尊として創建。建武2年(1335年) 宇都宮9代城主藤原公綱公により今の本尊不動明王が御本尊として、氏家勝山城から当山に遷座。御本尊不動明王は天歴3年(949年)3月28日、源頼光が多田滿仲の子、多田法眼(円覚上人)に作仏を願い、吉野山中にこもり一刀三礼のもとに彫り上げた霊像。多気城から下って多気不動尊へ。この道がかなりの急勾配だ...

2020 夏の北関東歴史旅 9.多気城

[多気城]栃木県宇都宮市 (標高377m /比高200m)康平6年(1063年) 宇都宮氏祖 藤原宗円が築いたという伝承文明4年(1472年) 多気兵庫守の居城であったという記録。天正4年(1576年) 大改修の記録              宇都宮国綱が家督を継いだ時期で、この辺りで宇都宮城から本拠を移したのかも。 天正18年(1590年) 小田原征伐~宇都宮仕置で所領を安堵され宇都宮に本拠を戻した。慶長2年(...

2020 夏の北関東歴史旅 8.賀蘇山神社

[賀曾山神社]加蘇山神社と賀蘇山神社を間違えたことは内緒だ!...