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category: 旅行記~2019夏旅てくてく  1/1

2019 夏旅てくてく ~ 21.平城宮

[平城宮]復元事業情報館で色々お話伺いましたけれど、第一次大極殿院完成まで日数も凄いけれど、金額が桁外れ・・・予算規模が見当つかないとの事。物価上昇とか諸々で。彼方に朱雀門南門復元工事中良く解らん    ...

2019 夏旅てくてく ~ 20.朝護孫子寺 / 信貴山城 (弐)

 本堂 /本堂からの景色 多宝塔手前から山頂まで石段が整備されていて山城登る感覚は無い。 老若男女結構な皆さんが登ってます。因みに30℃オーバー。[信貴山城]戦国以前から何かしら砦的な建築物はあったらしいが本格的な城郭は、1536年に木沢長政による。1542年 木沢長政敗死と前後して落城。1560年 松永久秀によって大改修、近代城郭に。1577年 落城の末、廃城に 山頂の空鉢堂付近が本丸跡地で四階櫓が...

2019 夏旅てくてく ~ 18.朝護孫子寺 / 信貴山城 (壱)

世界一福寅 [朝護孫子寺]物部守屋討伐に河内稲村城へ向かう途中の聖徳太子がこの山に立ち寄り戦勝の祈願。すると天空現れたのは毘沙門天王で、聖徳太子に必勝の秘法を授けた。その日が奇しくも寅年、寅日、寅の刻。勝利した聖徳太子は、自ら天王の御尊像を刻み伽藍を創建し、信ずべし貴ぶべき山として『信貴山』と命名。それ以降、信貴山の毘沙門天王は寅に縁のある神として信仰。開基 聖徳太子 (伝承) 醍醐天皇が病気になった...

2019 夏旅てくてく ~ 17.飛鳥王墓群

[飛鳥王墓群] この2作品読んでから、俄然、飛鳥地方に興味が湧いたもので以下訪問。 [文武天皇陵]実子で皇太子だった草壁皇子が崩御したため、持統天皇にとっては嫡孫の軽皇子(文武天皇)即位は悲願だったと云われる。この時、尽力したのが藤原不比等、そこには色々打算が有った訳ですよ。 ('◇')ゞ [天武天皇・持統天皇陵]第40代、第41代天皇。天武天皇の治世で後世に繋がる統治機構、宗教、歴史、文化の原型が作られたと...

2019 夏旅てくてく ~ 16.キトラ古墳

[キトラ古墳]高松塚古墳に次いで2例目となる大陸風壁画古墳被葬者は右大臣阿倍御主人が有力、皇族では天武天皇の皇子である弓削皇子・高市皇子、更に百済王昌成と云う説も。古墳前の歩道に乾拓板。時間が有ったらやりたかったなぁ。鉛筆よりもクレヨンが良いらしいですね。   ...

2019 夏旅てくてく ~ 15.高松塚古墳

[高松塚古墳]1970年、地元民がショウガ貯蔵の穴を掘っていたところ、穴の奥に古い切石を発見。陳情受けて、明日香村が資金を捻出して奈良県立橿原考古学研究所が発掘調査の結果、石室が発見された。壁画が有名ですよね。国営飛鳥公園館駐車場に車停めて、てくてく歩きます。  ...

2019 夏旅てくてく ~ 14.石舞台古墳

 [石舞台古墳]被葬者は蘇我馬子なのか稲目なのか。 約30の石、その総重量は2.300トンと推定。その石は古墳の傍を流れる冬野川の上流約3キロメートル、多武峰の麓から運ばれたと云われる。7世紀初頭にどうやって運んだ?そこに渡来人の知識ですよね。  中に入れるとは思わなかった。  ...

2019 夏旅てくてく ~ 13.談山神社

 [談山神社]天武天皇7年(678年) 中臣鎌足の長男で僧の定恵が唐から帰国後に、父の墓を摂津安威(阿武山古墳)から当地に移し、十三重塔を造立したのが発祥。談山の名は、中臣鎌足と中大兄皇子が、大化元年(645年)5月に大化の改新の談合をこの多武峰にて行い、後に「談い山(かたらいやま)」「談所ヶ森」と呼んだことからとされる。 後醍醐天皇寄進の石燈篭 藤原鎌足を祀る本殿は日光東照宮のモデルとされる  イ...

2019 夏旅てくてく ~ 12.宇陀松山城

    [宇陀松山城]  (続100名城-166)南北朝時代 有力国人宇陀三将の一人、秋山氏が居城として古城山に山城を築いたのが始まりとされる。秋山氏は伊勢神宮神戸社の神官職から土着した国人領主で、伊勢北畠氏麾下となって活動。戦国中期に入ると北畠氏傘下を離れ独立勢力となり、当主秋山直国は滝川一益の婿となる。筒井氏与力から蒲生氏郷与力となった時期、所領は豊臣秀長のものとなり、秋山直国は退去。この後、伊藤義之...

2019 夏旅てくてく ~ 11.北畠氏館

酷道には慣れっこな長野県民的にも驚異だった酷道368号線を抜けてやって来た北畠氏館跡。周囲が余りに田舎(失礼!)で驚いた。[北畠氏館]後方に控える霧山城とセットでの建築を想定すると、興国3年(1342年)~興国4年(1343年)頃、北畠親房の三男北畠顕能による築城。この地は天然要害な上、吉野と伊勢神宮の丁度中間にあたる。北畠氏全盛期には1万6千を動員可能で、この地には3,500戸有ったというから驚愕。天正4年(157...

2019 夏旅てくてく ~ 10.田丸城

 [田丸城] (続100名城-154)1336年 (建部3年・延元元年) 北畠親房によって築城。 1342年 (康永元年) 足利尊氏によって落城したものの南北朝時代は南朝の拠点に。室町時代は北畠氏は幕府と和解して国司となり、第5代北畠政郷の四男顕晴が田丸城に入り、田丸氏を名乗った。1575年(天正3年) 織田家から養子に入った北畠信雄は大河内城を廃し田丸城に三層の天守を上げ、伊勢支配の拠点に。1576年(天正4年)...

2019 夏旅てくてく ~ 9.鬼ヶ城

 ゴジラ岩を見掛けて鬼ケ城を思い出し立ち寄ってみた。東口駐車場の登山道入り口を登ると城郭の鬼ケ城[鬼ヶ城] 天気が悪かったので、この先へは進めず。...

2019 夏旅てくてく ~ 8.那智大社

[那智大社]仁徳天皇5年創建と伝わる熊野夫須美大神を主祭神とする神社  この日は例大祭(那智の扇祭り) 小雨と濃霧で何も見えず、本宮とセットでリベンジせねば。      ...

2019 夏旅てくてく ~ 7.徐福公園

[徐福公園]徐福の墓は元文元年(1736年)に建立、公園は1994年(平成6年)に建設秦の時代、方士・徐福は始皇帝に東方にある蓬莱・方丈・瀛州に不老不死の霊薬があると具申、命を受けて数千人を従え大船団を組んで出航。やがて、蓬莱に当たる新宮に到着し、当地に住み着いたという。「史記 - 秦始皇本紀」では詐欺師扱い。波田須駅周辺からは秦代の貨幣である秦半両が出土してる事から何かしらの事象は有ったとされる。 存在...

2019 夏旅てくてく ~ 6.熊野速玉大社

[熊野速玉大社]熊野三山に一つで景行天皇58年創建と伝わる。 手力男神社 / 熊野御行幸天皇一覧      ...

2019 夏旅てくてく ~ 5.新宮城

[新宮城] (続100名城-167)田鶴原と呼ばれる丹鶴山には、平安時代末より熊野三山を支配した熊野別当の別邸が建てられ、代々居住したと云われる。南西700メートルの処に、天正年間にこの地を治めた熊野水軍の堀内氏善の砦が有ったが、関ヶ原合戦時に東軍により接収された。1601年 浅野幸長 甲斐府中16万石 → 紀伊和歌山38万石  重臣・浅野忠吉が築城1615年 一国一城令で棄却1618年 幕府に許されて再...

2019 夏旅てくてく ~ 4.赤木城/弐

本日は松本出張につき予約投稿朝霧が創り出す風景が只々美しかった      ...

2019 夏旅てくてく ~ 3. 赤木城/壱

 [赤木城] (続100名城-155番)天正17年(1589年) 藤堂高虎による築城              熊野牢人衆が主導する一揆鎮圧後、当地監督を目的としての城郭。   比高30メートルで規模は小さいけれどコンパクトで機能的な総石垣造の城郭7時前に到着したけれど先人有り、後から続々。      ...

2019 夏旅てくてく ~ 2. 亀山城

[亀山城]1265年 一帯を治める関市によって現在地より300メートル北西に亀山古城が建てられた。1590年 岡本良勝が2万2千石で入り、近代城郭に大改修1600年 岡本良勝  改易1600年 関一政   美濃多良3万石 → 3万石1610年 関一政              → 伯耆黒坂5万石1610年 松平忠明 三河作手1万7千石 → 5万石1615年 松平忠明               → 摂津...

2019 夏旅てくてく ~1.神戸城

3連休企画したのは紀伊半島歴史旅土曜日午前中仕事して、一路伊勢へ車を走らせました。愛知県内で小降りだった雨は鈴鹿市内に入った頃から本降りに(´;ω;`) [神戸城]天文年間(1532-1550年) 4代神戸具盛による築城1568年 7代神戸具盛は織田信長に降伏、三男信孝を押婿にされた挙句、二年後に伊勢沢城に強制蟄居させられる。       神戸城は信孝によって大改修1582年 清須会議を受けて信孝は岐阜城へ...