category: 旅行記~2019 東海歴史旅(静岡) 1/1
2019 東海歴史旅 11.鳥羽山城

[鳥羽山城]天正3年(1575年) 長篠合戦大勝を受けて二俣城奪還を目指す徳川軍が築城。 二俣城の究極目前なのに武田軍はなす術がなかったのかな。 後年の調査で徳川以前に二俣城並みの城郭が有った事が判明している。二俣城接収後は、二俣城/鳥羽山城セットで整備され、枯山水等の庭園が有る事から迎賓館的に扱われたと推測されている。現存している石垣は1590年入封した堀尾氏の手による。二俣...
2019 東海歴史旅 10.二俣城

[二俣城](国史跡)文亀年間(1501年~1504年)二俣昌長による築城と云われるが場所は別とされる。現在地への移動は今川家被官松井氏によって。1569年 今川滅亡後、城主松井宗恒は武田氏に臣従したが、徳川軍の猛攻を受け降伏1572年 武田勝頼2万の軍勢猛攻で落城1575年 長篠合戦大勝のまま徳川軍が包囲、半年籠城の末武田軍は退去。1600年 廃城攻防戦よりも、信康自刃の城として有名。 大久保時代か堀尾時代か良...
2019 東海歴史旅 9.横須賀城

本日は先々週に続いて駿河城郭てくてく。徳島戦は明日アップ。[横須賀城] (国史跡)天正6年(1578年) 大須賀康高によって築かれた。 高天神城奪還目指す徳川家康は、1574年より馬伏塚城を中心に包囲網を構築。 更なる圧を加えるべく、高天神城より直線距離10㌔のこの地に築城、本陣を移した。1590年 家康関東移封に伴い、渡瀬繁詮、有馬豊氏が城主に。なんと言っても本丸...
2019 東海歴史旅 8.高天神城

[高天神城] (続100名城-147)伝承レベル 治承・寿永の乱(源平合戦)の際に築城。1191年 土方次郎義政が砦建築1471年 今川家臣 福島上総介正成が城主1536年 花倉の乱で福島正成没落。小笠原春儀城主に1568年 小笠原長忠 家康の勧誘に応じ投降1574年 武田軍猛攻により落城1581年 徳川軍によって落城 そのまま廃城となり高天神社のみが残された。・勝間田城から40分程で搦手門側駐車場に到着。こちら側から...
2019 東海歴史旅 7.勝間田城

[勝間田城]15世紀中頃 勝間田氏による築城とされる。勝間田氏は鎌倉時代には御家人、室町時代には奉公衆として幕府に仕えたと云うから相当古い一族。1476年 今川義忠(義元の祖父)に攻められ落城、子孫は甲斐武田氏に仕えた。・標高131m(比高100m)の山と云うよりは丘陵で出曲輪部分は茶畑に。堀切、虎口は大体わかるけれど、歩道以外は藪で(-_-;) 諏訪原城から茶畑に囲まれた県道233号線を12.3分下って勝間田城へ...
2019 東海歴史旅 6.諏訪原城

[諏訪原城] (続100名城-146番)天正元年(1573年) 遠江獲得を目指す武田勝頼による築城。 高天神城攻略後は兵站基地に天正3年(1575年) 長篠合戦後の徳川大反攻で落城。 収容した徳川によって大改修天正18年(1590年) 廃城 強風半端なかった。 牧之原台地突端に丸馬出し多用したまさに"武田の城"見渡す限りの茶畑の光景は新鮮。 ...
2019 東海歴史旅 5.丸子城

[丸子城]応永年間 今川氏家臣、斎藤氏による築城が定説。文明8年(1476年) 今川義忠が戦死、家督争いが起きた際、龍王丸(後の今川氏親)は一時丸子城で暮らした。永禄11年(1568年) 駿河侵攻した武田信玄は西駿河に残る今川対策として山県昌景を入れた。永禄13年(1570年) 駿河を制圧した武田信玄は、丸子城を諸賀兵部大輔・関甚五兵衛を、天正6年(1578年)以降は屋代勝永を入れた。 天正9年(1581年) 高天神城落城前...
2019 東海歴史旅 4.三保の松原
2019 東海歴史旅 3.小島陣屋

[小島陣屋] (国史跡)小島藩初代松平信孝は、形原松平家から駿府城代であった大叔父松平重信の養子となり、出世重ねて1689年、1万石となり諸侯に列した。小島陣屋は宝永元年(1704年) 小島藩2代藩主の滝脇松平信治による築城。慶應4年(1864年) 明治維新で強制移封されるまで11代の本拠に。因みに藩成立から借金だらけの貧乏藩で、宝暦年間には増税に抗議して一揆起こされた挙句に増税撤廃。・5000坪の敷地に城...
2019 東海歴史旅 2.蒲原城

[蒲原城]天文年間(1532年~1555年)に今川氏による築城富士川の脇、眼下に東海道を見下ろす眺望抜群な山城(標高149メートル/比高90メートル)で、素人目にも当地が"境界の城"なのを実感。藪が酷過ぎて善福寺曲輪には辿り着けないどころか主郭から確認すらも難しかった。今川義元戦死後、重要性を理解して強化したものの、今川援助名目で駐屯した北条が接収、駿河侵攻の拠点に。1568年(永禄12年) 甲相駿三国同盟を破棄し...
2019 東海歴史旅 1.道の駅富士川楽座

先週土曜日は東京V戦の後、翌日の山城探索に備えて静岡へ移動しました。中部横断自動車道を開通している下部温泉早川ICまで利用、ここで富士川渡って52号経由して富沢ICから再度、中部横断自動車道乗るのが普通。ここで「富士川楽座行くんだから、このまま10号線下って行ってもいいでしょ。時間大して変わらんし、高速代浮くし・・・」と、JR身延線に沿った下道選択。と・こ・ろ・が道狭い、カーブ多すぎ、コンビニ無い、まず...