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category: 旅行記~2019春の上越越中歴史旅  1/1

2019 上越越中歴史旅 ~ 14.高田世界館

[高田世界館]2019春の歴史旅の最後は城郭ではなくて映画館通りから少し奥まった隠れ家的な洋風建築の高田世界館。開業は何と明治44年(1911年) で、今年で・・・・108年 !  日本最古 !入った瞬間から何とも言えない懐かしさを感じたのは、子供の頃よく通ってた映画館に似通っていたからかな。ど田舎の映画館で皆顔見知りだったから映写室なんか普通に出入りさせてもらってた記憶。こういったノスタルジックな劇場はどれ...

2019 上越越中歴史旅 ~ 13.高田城

天神山城から魚津城へ向かったところ、市民マラソン大会で道路が封鎖されている上に大混雑。警備員さんに迂回路を尋ねるも要領を得ない回答。今後の予定を考えて行く先変更して高田城へ。[高田城]1614年 総監督伊達政宗で天下普請で建てられた高田城も、途中から色々やらかしちゃった大名の懲罰的な転封藩に。1614年 松平忠輝  川中島12万石 → 60万石1616年 松平忠輝  改易1616年 酒井家次  上野...

2019 上越越中歴史旅 ~ 12.天神山城

 時間に余裕が有ったので、松倉城から天神山城へ。カーナビに誘導されてゴルフ場を横断する公道から車幅ギリギリの農道を走ったでござるよ('◇')ゞ愛車のカロッツェリアカーナビは"どS"で、時々オーナーに対して無茶を強いる。[天神山城]白鳥城同様、山頂部からは弥生土器が出土している事から、弥生時代既に山城だったと考えられている。 1554年(天文23年)、松倉城の支城として上杉氏によって中世城郭になった。 上杉謙信は...

2019 上越越中歴史旅 ~ 11.松倉城

弓庄城から県道137号を北上、高速から良く見えるスギノの社屋前を通り、早月川を渡り案内表示に従って、66号宇奈月大沢野線をひたすら登ります。ここまでは狭いけれど普通の田舎道。角川ダムの先を鋭角左折してから山頂駐車場までが結構しんどかった。道は舗装されているし、行き違い時の待機スペースも各所に有る。・・・・けれどもガードレールが少ないし、落石半端ない。運転自信のない方は無理。行き止まり駐車場には3台先客...

2019 上越越中歴史旅 ~ 10.弓庄城

呉羽丘陵を下り、富山市街地を抜けて上市町へ。路面電車が走る光景って新鮮。[弓庄城]戦国時代に土肥氏による築城。南北朝時代に相模よりやって来た土肥氏は、堀江荘を本拠としていたが弓庄城を築き本拠を移した。室町時代は畠山氏の元で活躍したものの、畠山氏が没落すると神保氏・椎名氏に圧迫されるようになり、越後の長尾氏を頼るようになる。更に時代が下ると、その他越中国人領主同様、上杉から織田に従属したり上杉に再帰属...

2019 上越越中歴史旅 ~ 9.白鳥城

 [白鳥城]富山平野を見下ろす標高145メートルの呉羽丘陵に建てられた城郭。歴史は古く、弥生時代の高地性集落跡が見つかっており、環堀の存在から軍事上の要地であったとされる。寿永2年(1183年) 源義仲の部将今井兼平が布陣。天正年間 神保氏が富山城の詰城として本格的築城。永禄5年(1562年) 椎名氏の後盾上杉謙信によって攻め落とされる。上杉謙信死後、織田方が越中を制圧すると、佐々成政が富山城に入り、白...

2019 上越越中歴史旅 ~ 8.富山港

時間に余裕が有ったので、伏木から海王丸パークへ。    ...

2019 上越越中歴史旅 ~ 7.放生津城

[放生津城]鎌倉末期、越中国守護名越氏が置いた越中国守護所が始まり。1333年、建武の新政に向かう争乱で、守護北条時有最後の地となった旨が太平記に記述される。 室町時代になると、守護畠山氏に代わり守護代神保氏の居城となり、明応2年(1493年)には明応の政変で幽閉された将軍足利義稙を迎えた。 永正17年(1520年)に長尾為景に攻められ落城。その後再建されたものの、神保氏は富山城、守山城、増山城を居城とし...

2019 上越越中歴史旅 ~ 6.古国府城

[古国府城]1573年以前に越中守山城の支城として築城。目前に伏木港があるので監督する意味合いが有ったかもしれない。1584年、佐々成政は豊臣秀吉対策として、越中一向一揆勢力を味方につけるべく、城を破却して敷地を勝興寺に寄進。成政が秀吉に降伏したのちも、領主となった前田利家は勝興寺を手厚く保護した。勝興寺周囲の土塁や空堀が当時の遺構。勝興寺の唐門は京都興正寺の移築門で重要文化財。 ここにも大伴家持像...

2019 上越越中歴史旅 ~ 5.守山城 

[守山城]南北朝期、桃井直常による築城される。桃井直常は足利一門で尊氏に従ったものの、観応の擾乱では足利直義派、後に南朝に帰順した。守山城は標高259 m(比高 250 m )の山城で越中平野を一望に見下ろす要害で、南北朝時代は守護斯波氏と桃井氏が攻防を繰り広げた。守護が畠山氏になると守護代神保氏が放生津城の詰城として使用。戦国期、神保氏張は織田家と縁戚となり、上杉謙信に抵抗したものの、後に降伏。謙信没後...

2019 上越越中歴史旅 ~ 4.阿尾城

道の駅氷見から北上すること5分で阿尾城へ [阿尾城]築城年代は不明天正年間の城主は上杉謙信家臣の菊池武勝・十六郎父子で、肥後菊池氏の末裔。上杉謙信没後、佐々成政配下と転じたが、成政と前田利家が対立すると利家の勧誘を受けて寝返った。1597年に廃城、菊池武勝は1,500石で加賀藩に仕えた。江戸時代に入り、子孫は結構な出世を重ねたとか。  ほぼ三方を断崖絶壁海で囲まれた天然要害な連郭式平山城 (標高38m/比高30...

2019 上越越中歴史旅 ~ 3.富山湾の朝日

道の駅氷見で車中泊して、翌朝5:30起床。皆さんカメラ構えているのを見て、車へカメラを取りに戻った(-_-;)    ...

2019 上越越中歴史旅 ~ 2.越中宮崎城

本日予約投稿。千葉戦は明日アップ 親不知ICを降りて海沿いの下道を走り、登ってやって来たのが越中宮崎城。雨で湿っていて、駐車場から本丸まで道はツルツル。[越中宮崎城](標高249m比高209m) 寿永2年(1183年)北上してきた木曾義仲が越中国に侵攻。この際、城主宮崎太郎長康と共に、以仁王の皇子北陸宮をこの城に迎え入れ、御所を作り侵攻の足がかりとしたと云われる。越後との国境にある故重要視され、上杉氏の越中侵攻中...

2019 上越越中歴史旅 ~ 1.鮫ヶ尾城

10連休、最初の週末に企画したのが上越越中歴史旅。その最初に攻略したのが鮫ヶ尾城。昨年8月は麓まで来たものの豪雨で断念、今回はリベンジなんですが・・・・・またしても雨 !今回はポンチョ2枚重ねで登城したでござるよ。雨が半端ないので写真は最小限で[鮫ヶ尾城] 続100名城-133番築城年代はハッキリしないけれど、永正~天正年間に上杉氏による春日山城及び北国街道の防御&対武田を意識した築城とされる。鮫ヶ尾...