category: 旅行記~若狭近江尾張美濃(福井滋賀岐阜愛知) 1/1
2018 夏の歴史旅 16 ~ 明知城

[ 明知城 ] 今旅行の最終目的地明知城に到着。恵那市明知町は「日本大正村」と「明智光秀ゆかりの地」の町。明智光秀生誕地に関しては、可児市明智長山城が有力とは云われているけれど、大河ドラマ決定で、2020年は観光客凄い事になるよ。 幼少期の明智光秀は明知城で学問に励んだと云う話。 1247年 美濃故国恵那郡の遠山荘を拝領した加藤景廉の孫・景重が当地に居を構え、明知遠山家が始まった。 城を...
2018 夏の歴史旅 15 ~ 小口城

[ 小口城 ]1459年 織田遠江守広近の築城。この織田遠江守広近がどの程度の地位とか解らんけれど、守護斯波氏が元気で織田氏は従順だった時代。広近はこの後、木之下城を築城したり、4代後の信康が犬山城を築城していることから、一定の勢力は誇っていただろうし、対斎藤最前線だったかな。永禄年間(1558-1570) 中島豊後守(織田信清家老)は信長に攻め落とされ、そのまま廃城。 平成に入って発掘調査行い、199...
2018 夏の歴史旅 14 ~ 小牧山城

[ 小牧山城 ] (続100名城-第149番) 西高木陣屋から70分で名古屋郊外小牧山城に到着。大手門前の市役所駐車場に車停めて、標高86メートル/比高70メートルの平山城攻略でござる。 1563年 信長自らが縄張り築城。 以後4年間居城とした。砦に近いものが想像されていたが、近年の発掘調査の結果、城郭を取り巻く三重の石垣が発見された。更に城の南部の発掘調査で町割も発見されており、小牧山城...
2018 夏の歴史旅 13 ~ 西高木陣屋

[ 西高木陣屋 ] (国史跡)関ヶ原からカーナビに従って下って来た街道沿い、上石津郷土資料館案内を右折した、突然に石垣群が現れた。元々あった多羅城の石垣を利用したと思われる完全に城郭様式の石垣1852年再建の表門。 西美濃に土着した高木家は斎藤道三、織田信長、織田信雄に仕えたが、信雄が改易された際、当主高木貞利は甲斐に蟄居。代わりに入った関一政が多羅城を築いた。関ケ原後、関一政は伊勢国亀山に移封、高木...
2018 夏の歴史旅 12 ~ 竹中陣屋

[ 竹中陣屋 ]1588年 竹中重門(竹中半兵衛長子)による築城 元々、菩提山城(岩手山城)を居城としていたが、余りに不便なことから、麓に岩手城(のち竹中陣屋)を築いた。 竹中重治像築城した竹中重門だって、偉大な父親程ではないけれど優秀な文官だったと云う話。所領は6000石で大名扱いの旗本交代寄合に。 堀が有って、石垣もそれなりにあるから、まぁ城郭ですよね。現在、陣屋跡は岩手小学校に。 ...
2018 夏の歴史旅 11 ~ 関ヶ原再訪
2018 夏の歴史旅 10 ~ 佐和山城

本日は加賀・越前の城郭攻略 !金沢戦は明日アップします。[ 佐和山城 ] 城趾への登山道入口となっている龍潭寺で、石田三成像が鎮座。これ見て、この後関ヶ原再訪を決意した。 それ程キツくない。野猿注意の看板の通り、それらしき形跡(新鮮な💩)発見。 鎌倉時代/建久年間(1190- 1198年)、近江守護職・佐々木定綱六男・佐保時綱が築いた砦が始まりとされる。室町時代~戦国初期は六角氏の支配、戦国後期は新興勢力である浅井...
2018 夏の歴史旅 9 ~ 琵琶湖
2018 夏の歴史旅 8 ~ 百済寺

[ 百済寺 ] 百済寺は湖東三山の一つに数えられる国の史跡 606年 聖徳太子による建立と伝わるが微妙。 寺号からして渡来系氏族の寺院として開創された可能性が高い。彼方に観音寺城・安土城。 僧坊300を誇る近江最古級の古刹である百済寺は、六角氏によって城塞化。1573年(元亀4年)、六角義弼の立て籠もる鯰江城を支援したとして、織田信長によって焼き討ち。完全に安土城スタイル。否、安土城から百済寺を模...
2018 夏の歴史旅 7 ~ 蓮華寺

[ 蓮華寺 ]1400年前 聖徳太子が創建、法隆寺と称したと云うが、1276年焼失1284年再建時宗一向派大本山から、現在は浄土宗本山1333年 京都合戦で敗北した六波羅探題北方の北条仲時が、持明院統の光厳天皇、後伏見上皇、花園上皇を奉じ、番場に到着。ここで佐々木道誉に塞がれた為、天皇と上皇の玉輩を蓮華寺に移し、一戦交えたものの敗れ、本堂前で仲時以下一族郎党432名が自刃した。石段登る際、暑い筈なの...
2018 夏の歴史旅 6 ~ 鎌刃城

[ 鎌刃城 ] (続100名城-156番)米原I.C降りて、中山道に入り、喫茶「源右衛門」でスタンプを確保。少し戻って町屋橋脇の駐車場へ。「源右衛門」でトレッキングマップを確実に入手することをお勧めします。 登城は彦根43ガードから。この扉は熊対策です ! 想像した程キツくはない。只々暑い。 築城年代は全く不明。湖南と湖北の境界の要所故、室町中期には既に存在していたと考えられる。北曲輪の虎口戦国期は京極氏・...
2018 夏の歴史旅⑤ ~ 玄葉尾城

[ 玄葉尾城 ] (続100名城-140番) 国吉城から下道、8号線と分岐した140号線を暫く南下、柳ケ瀬トンネル手前を左折。林道を10分程走った突き当りが登城口。すれ違い困難なので運転注意です。 近江と越前の国境。真下に刀根峠 ―― 1573年、撤退する朝倉軍を織田軍が猛追した激戦地。1582年 清須会議後、柴田勝家は長浜城を守る養子柴田勝豊を不安視し、長浜城が落ちた後の備えとして玄葉尾城を築城したと...
2018 夏の歴史旅 4 ~ 佐柿国吉城

[ 佐柿国吉城 ] (続100名城-139番) 若狭国吉城歴史資料館は旧佐柿町奉行所跡。開館時間前だったので正面駐車場に停められた。 城主居館跡 ゲート! 熊が出るのか ! 曲輪群までのつづら折り道は大してキツくない。 一通り一遍の構造物がコンパクトに出来上がっていて、比高はそれ程ではないけれど、難攻不落なのは窺える。いや、ここ名城でしょ。 若狭の東玄関に位置する交通の要衝 ―― 椿峠を抑えるのが国...
2018 夏の歴史旅 3 ~ 後瀬山城

[ 後瀬山城 ] 丹後街道を西にに向かい、後瀬山東信号を右折して間もなく左折した先に愛宕神社。ここが登城口で、社務所脇に駐車。 1440年 武田信栄は6代将軍足利義教の命を受け、若狭守護一色義貫を討伐し、若狭を拝領。1522年 5代武田元光が後瀬山に築城1568年 8代武田元明、庇護名目で拉致され朝倉家支配下に。1573年 朝倉滅亡、丹羽長秀が大改修。1600年 若狭を与えられた京極高次が小浜城築造...
2018 夏の歴史旅② ~ 小浜城

小浜市街地。浪人時代の友達、荒木クンが小浜だったなぁ。[ 小浜城 ]1600年 京極高次 近江国大津6万石 →若狭8万5千石 翌年に近江国高島郡に7千石加増。 当初、後瀬山城に入ったものの手狭なため、小浜湾三角州に新城を建築した。1624年 京極忠高 → 出雲松江26万2千石 1624年 酒井忠勝 川越10万石 → 11万3千石 以降14代で維新 京極2代...
2018 夏の歴史旅① ~ 田辺城

7月3連休企画したのは若狭近江尾張美濃を巡る旅。7月14日土曜日は午前11時迄仕事して、11時30分に佐久を出発。最初の目的地、田辺城には17時15分に到着。5時間45分運転してた訳だ ('◇')ゞ[ 田辺城 ]室町時代、守護一色氏の政務所として、何らかの建物は有ったと推測されいる。1578年 一色氏滅亡後、当地を与えられた細川藤孝(幽斎)・忠興父子によって築城された。 本能寺以降は宮津城が...