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category: 旅行記~北へ北へ  1/1

北へ北へ plusα 18 / その他

1日目の車中泊は「道の駅庄内みかわ」敷地内に日帰り温泉と、21時までやってるスーパー併設。写真は早朝6時頃だけど、夜中はほぼ満車だった。某城郭公園の駐車場にて、視線を感じて見上げたら隣家2階に猫がいた。2日目、三春城登ってびしょ濡れになったので、カーナビ検索で探した日帰り温泉「きがる湯」洗い場3つのこじんまりした温泉だけど心地よかった。2日目の車中泊は「道の駅たまかわ」19時過ぎに到着した時、5~6台...

北へ北へ plusα 17 / モノクロ写真

坂戸城登り口長谷堂城大手口白河の関神社参道黒羽城    ...

北へ北へ+α 16 / 黒羽城

白河小峰城から旧陸奥街道を南下して今旅行の最終城郭黒羽城へ。 体育館脇から城址公園駐車場行ったけれど、体育館を少し下ると広い駐車場があって、そちらに止めた方が良かった(結果論)。三の丸跡地には黒羽芭蕉の館があって、これが良い趣なんだな。  この館をくぐると空堀で登った先が本丸。    保存/整備状況は良いね。 歴史は新しく1576年に大関高増が白旗城から本拠を遷した事から始まっている。小田原征伐では...

北へ北へ 15 / “復興遥かなり”白河小峰城

[ 白河小峰城 ]  (国史跡/日本100名城 ‐ 13番) 2014年9月以来、2度目の登城。前回は震災復興工事でただ眺めるだけだった。  南北朝期に白川結城氏の結城親頼が築城したとされる。以降は白川城の項で書いた通り。1590年 蒲生氏郷92万石内1598年 上杉景勝120万石内1601年 蒲生秀行60万石内1627年 丹羽長重 ( 棚倉→10万石 ) ここで幕命を受けて、近世城郭に大改築、現代に繋...

北へ北へ 14 / 白川城

[ 白川城 ] (国史跡)1189年 結城朝光が白川を拝領したのが白川結城氏の始まりで、1289年に孫の祐広が当城に居を構えたとされる。建武の新政下で「三木一草」と称せられた結城親光は白川結城氏の出。南北朝では北畠氏に従い南朝方だったが、後に北朝に転じた。永享の乱・享徳の乱で幕府の信任を得て、勢力を拡大したものの、以降は内紛を繰り返して衰退して、奥州仕置で改易。本丸下まで車で乗り入れが可能(道は険しい...

北へ北へ 13 /  白河の関 + 関ノ森城

[ 白河の関 / 関ノ森城 ]  (国史跡)棚倉城から280号線を西へ西へ。やって来たのは、古の昔から東山道の関門として名高い白河の関。ここから北が陸奥/東北として扱われた。台風一過、階段が落ち葉で滑る滑る。寄進したのは伊達政宗  神社後方が関ノ森城で、土塁と空堀が綺麗に整備されてる。  源義家/源義経に謂れの有るモノと・・・・  歌碑多数従二位の杉新古今和歌集撰者の藤原家隆が手植え奉納した杉。樹齢80...

北へ北へ 12 / 棚倉城

[ 棚倉城 ]3日目!「道の駅たまゆら」を出発、途中のコンビニで朝食摂って、最初の目的地棚倉へ。1622年 築城の名手とされた丹羽長重による縄張りだが、長重は途中で白河移封。     後の大名が完成させた。江戸時代に入ってからの築城=平治の城郭とあって本丸を中心とした輪郭・梯郭式の平城で石垣は殆ど用いられず、土塁と二重の堀で構成されていた。 台風で折れて、散乱した木々が凄かった。 棚倉藩 ―――山形、村上...

北へ北へ 11 / 三春城

[ 三春城 ] (続100名城 - 110番) 猪苗代城から豪雨の磐越自動車道に乗り、途中、郡山JCTの曲線美に感嘆しつつ東へ。市街地を抜けて三春町役場を少し登った左手に「舞鶴城跡」の看板。すれ違い不可能な急な上り坂を抜けると児童公園が有って、その脇に駐車。 1504年 田村義顕が築城し、守山城より本拠を移したとされる。蘆名、伊達、岩城、相馬、佐竹・・・・群雄割拠の中、婚姻政策で家名を保ってきた。...

北へ北へ 10 / 会津の玄関 猪苗代城

鎌倉時代初期  三浦氏の一族佐原経連による築城とされる。佐原氏は蘆名氏と同族、後に猪苗代氏を称した。 蘆名氏の黒川城を攻略する障壁がこの猪苗代城。1589年の「摺上原の戦い」では、その直前に当主盛胤が蘆名義広に伺候している間に、不仲だった先代盛国が猪苗代城を乗っ取り伊達氏に内通した。伊達政宗が猪苗代城に入り、摺上原で蘆名義広を破り会津制圧に成功する。 小田原合戦後の奥州仕置によって会津は蒲生氏郷の領...

北へ北へ 9 / 謙信-ism 霊山要塞な向羽黒山城

[ 向羽黒山城 ]  (国史跡 / 続日本100名城 - 111番) 長谷堂城からバイパス・八谷街道を南下すること120㌔。途中、「道の駅喜多の郷」で喜多方ラーメン食べたり、車停めて写真撮ったりして、向羽黒山城到着は11時50分。 本丸に至るまで各所に駐車場があって車で回れるのは便利ね。 永禄年間  蘆名盛氏による築城。盛氏の隠居城と云うけれど、区画は東北最大級。本拠である黒川城(平城)が平時の城ならば、こ...

北へ北へ 8  / 謙信-ism 北の大決戦舞台な長谷堂城

[ 長谷堂城 ]鶴岡から山形自動車道/東北自動車道を走る事100分で山形へ。車から眺める景色がとにかく素晴らしかった。 八幡崎口の公園駐車場の脇が復元された水堀。ここでパンフレットを入手したけれど、このパンフレットが解り易い! 八幡崎口 /案内板がとにかく親切。 これ日本中の城郭管理運営者に見習ってほしいレベル    帯曲輪と横矢掛りが凄いわ。割と歴史は浅くて、1514年に長谷堂城を伊達軍に落とされ...

北へ北へ 7 / “酒井” “本間” “海坂” な鶴ケ岡城

[ 鶴ケ岡城 ] (続100名城-108番)「道の駅庄内みかわ」を6時に出発して、15分で鶴ケ岡城へ。 この石垣は遺構かな。 東北は土塁中心な城郭が多いけれど、ここは改修に次ぐ改修が有った筈で。鎌倉初期に出羽国大泉荘の地頭大泉氏が当地に居を構えたのが始まりとされる。以降大泉氏は武藤大宝寺氏を名乗る戦国時代に入ると武藤氏は越後上杉氏と手を組み庄内地方の統一を果たす。1583年 版図を最大に広げた武藤義氏が、...

北へ北へ 6 / 謙信-ism 村上城

[ 村上城 ] (続100名城-131番)与板から100分位、予定より10分遅れの17時30分村上城到着。カーナビが信じられない細い道指示するものだからもう大変。  1500年頃 阿賀北を支配していた本庄氏による築城とされる。1568年 自立傾向が強い揚北衆の本庄繁長は謙信に反旗翻すものの1年で降伏       以降は上杉軍主軸として奮闘するものの、追放されたり帰参したりと紆余曲折が有り過ぎ。15...

北へ北へ 5 / 謙信-ism 与板城

[ 与板城 ] 蔵王堂城から北西に20分で与板へ。秋祭りと電線工事による交通規制で駐車場が解らず、縁石で仕切られた緩衝帯に縦列駐車した。 標高104 mで比高 85 m 緩いトレッキングコース(笑)本与板城を本拠としていた直江氏が、天正年間、信綱の代に与板城に拠点を移した。1598年 上杉景勝の会津転封に伴い、与板城は廃城。 大河ドラマ「天地人」の時は空前の登城者だったと云うお話。当時使われた看板が・・・・潔...

北へ北へ 4 / 謙信-ism 長岡城+蔵王堂城

[ 長岡城 ]長岡城跡に建っているのが長岡駅。碑を探したけど見つからなかった。 さいわいプラザ3Fにある「長岡藩主牧野家資料館」1605年 堀直寄5万石 長岡城築城開始1610年 堀直寄 ⇒信濃飯山藩4万石 長岡築城中断。1610年   ⇒ 高田藩主松平忠輝 家臣山田勝重1616年 堀直寄 信濃飯山藩4万石 ⇒8万石復帰1618年 堀直寄  ⇒越後村上10万石1618年 牧野忠成 長峰藩5万石 ⇒ 6万2千石 以降 13代で維新へ[ ...

北へ北へ 3 / 謙信-ism 栃尾城

[ 栃尾城 ] 坂戸城から90分弱で長岡市栃尾町へ。ここは栃尾揚げが有名で、旅番組で度々取り上げられるせいか、ブラブラ町歩きする観光客がちらほら。そんな商店街を抜けて、林道を登ると二の丸下の駐車場へ。 室町時代初期~中期、南北朝の時代に北朝方芳賀氏による築城とされる。代々本庄氏の城で、幼年期の上杉謙信の才を見抜いた本庄実乃が、謙信をこの城に迎え、青年期まで過ごした事で有名。謙信の父・長尾為景死後の跡...

北へ北へ 2 / 謙信-ism 坂戸城

[ 坂戸城 ] (国史跡) 荒戸城から40分で坂戸城へ。噂には聞いていたけれど、案内板見て絶句。比高460メートルで所要時間は上り80分、下り60分とある。情報欄では田舎もんならば40分あればOKとあるので、竹田城の経験から行きは階段コースでなくて遺構ハイキングコースを選択。・鎌倉時代 清和源氏流新田氏の所領であり、その中心である坂戸山に城郭が築かれていたものされる・文和年間(1352年-1355年) 新田...

北へ北へ 1 / 謙信-ism 荒戸城

9月3連休(16日-18日)の車中泊旅行で当初予定していたのは愛知-静岡方面。ところが例の台風で東海地方は16日から雨予報。ならばと北へと方向修正して上杉を攻略するでござるよ。[ 荒戸城 ] 6時に佐久を出立してジャスト2時間で最初の目的地荒戸城に到着。関越自動車道の湯沢インターを降りて国道17号線を左折、5km進んで芝原トンネル直前を左折して旧道へ。しばらく旧道を登っていくと左側に説明板が設置され...