category: 信州 1/2
桜舞小諸城
善光寺
長野市
外山城
白鳥神社

[白鳥神社]日本武尊の伝説に因む白鳥信仰の神社。因みに全国に3ケタあるそうで('◇')ゞ治承5年(1181年) 前年、挙兵した木曾義仲は神社前の河原に3000騎を集め、横田河原(長野市)での緒戦に臨んだといわれる。...
尾野山城

[尾野山城]築城年代は不明戦国時代は海野氏配下・尾山氏代々の居城で、同じ丘陵に茂沢・孫台・三日の支城群を置いていた。応永7年(1400年) 村上方として大塔合戦に参戦天文10年(1541年) 海野平合戦では、武田・諏訪・村上連合軍に攻められ落城。以降、武田氏に臣従し、武田滅亡後は真田氏配下となり、2度の上田合戦に参陣した。愛宕神社入り口まで来たものの道が狭すぎて断念...
木曾義仲挙兵地
依田城

[依田城]前九年の役・後三年の役に従軍して戦功を挙げた源為公が信濃守となり伊那へ。その六男・依田六郎為実が小県郡を分地され依田城を築いて本拠地とした。治承4年(1180年) 為実の子・依田次郎実信は木曽義仲に依田城を明け渡し、義仲は依田城にて挙兵。荒廃した林道を15分歩いたら登城口で、ここから20分はひたすら尾根歩きで完全に登山。(上) 丸子市街地(下) 浅間山(上) 蓼科山(下) 丸子城 ...
丸子城

[丸子城]築城時期は不明も、木曾義仲挙兵に従った丸子氏の居城で、武田軍には早い時期に従属した模様。天正13年(1585年) 第一次上田合戦の際、撤退する徳川軍を撃退した事で、城主・丸子三左衛門は海野姓を与えられ、真田信之の家臣に。主郭と二の丸の間は岩盤が露出して、中々の隘路。人気ウォーキングコースなので、結構賑やか。(上) 松本に抜ける内村街道(下) 丸子市街地、その先を右に行くと小諸佐久、左に抜けると上田、...
根羽城

[根羽城]佐久から松本行く際、必ず通過する小屋坂トンネル。この上が城とは、つい最近まで知らんかった。トンネル入口脇の路側帯に駐車して、ゲート開けてコンクリート階段上って少し行くと切通。ここが登城口で、あとは尾根伝い。幾つかの堀切越えて、岩場超えると石垣が登場、その先が主郭で、諏訪に抜ける長和町方面が一望。 ...
鳥屋城

[鳥屋城]依田川左岸に丸子城から尾根伝いに点在する城砦群の一つで、築城年代は不明なものの、1543年(天文12年) 長窪城が武田方に陥落した際、村上方の最前線となった。1553年(天文22年) 村上vs武田で、1日持たず落城。1585年(天正13年) 神川合戦の折、徳川方に降った杉原氏に与えられた記実有り。標識が点在するので迷うことなく20分弱で主郭まで。その主郭では登山愛好家の皆様が講習会。確か途中に岩場有ったし、鳥屋山砦...
中山城

[中山城]平安~室町時代まで隆盛を誇った武石郷総鎮守子檀嶺神社。戦国初期、大井氏により詰城として築城。神社裏手を柵に沿って登ってゲート開けて進入。半端ない枯れ葉に難儀しての登城。堀切先の二の郭はほぼ腰郭で、その先の主郭背後には見事すぎる二重堀切。この城は少し整備すると良いかなも。 ...
長窪城

[長窪城]室町全盛期 応永年間(1400前後) 大井氏または望月氏による築城戦国初期は依田氏、中期に入り大井氏が支配した。1543年(天文12年) 武田軍の猛攻に大井貞隆は降伏、以降北信侵攻の拠点に。1582年(天正12年) 武田家滅亡、真田氏の支配下となり廃城搦手口に繋がる林道から。この林道が狭すぎて、エクストレイルでギリギリだった。北郭群を登るだけで主郭到達。目前に北信と諏訪を繋ぐ街道、背後は佐久経由...
高峰山 / 高峰神社
さくラさく小径
信濃 ・ 海尻城

[海尻城]長野県南牧村 (標高1090メートル/比高50メートル)室町中期、前山城主 伴野氏の家臣 井出長門守による築城と伝わる戦国時代に入ると、村上義清家臣が入り、武田侵攻に備えた。1536年 武田信虎率いる武田軍は撃退したものの、1540年 板垣信方に攻め落とされ、救援に向かった村上義清軍も撃退。以後、武田軍はここに烽火台を設置した。海尻基幹集落センターに駐車して医王院に入り、仁王像を抜けた左...
信濃 ・ 海ノ口城

[海ノ口城]長野県南牧村 (標高1260メートル/比高220メートル)築城年代・築城主は全く不明天文5年(1536年) 甲斐武田軍8000が、佐久平賀城主平賀源心成頼率いる2000が籠る海ノ口城を攻めた36日に渡る攻防のち、武田軍は退却するが、殿を申し出た武田晴信は退却すると見せかけた晴信率いる300の小勢が急襲。平賀源心以下城兵を討ち取って海ノ口城を落とした。以降、武田軍の佐久攻略の兵站基地となっ...
信濃 ・ 富士見城

[富士見城]築城年代は二説① 大井氏が対滋野氏で築いた説② 天文年間(1532年~1554年)に佐久地方へ進出した武田家が鍋蓋城(小諸城の前身)の支城として整備したとする説徳川・上杉・北条・真田諸氏が信州の支配権を争った「天正壬午の乱」では徳川家家臣・柴田康忠が一時居城とした。豊臣政権下で小諸城主となった仙石秀久も支城として使用したものの、一国一城令で廃城。・飯綱山全体が岩山であることに加え、ほぼ全ての曲輪で...
信濃 ・ 葛尾城

[葛尾城](県指定史跡) 所要時間80分標高817m/比高387mの山城で、南北朝時代末期に村上氏によって築かれたと云われる。1094年(嘉保元年) 信濃国更級郡村上郷に流罪となった源盛清の子為国が村上氏を称したとされる。1548年(天文17年) 上田原合戦1550年(天文19年) 戸石城合戦 村上義清は二度に渡り武田信玄に勝利1551年(天文20年) 真田幸隆によって落城1553年(天文22年) 屋代氏をはじめとす...