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category: 上野国  1/2

上野国 ・ 箕輪城(再訪)

5年振り2度目の箕輪城、今回は大手虎韜門から登城堀切登っていくと・・・・復元された郭馬出西虎口門これだけだと変に浮いてる感じなんだな。一度降ってから鍛冶曲輪へ。三の丸石垣。この先、何処まで復元します ?      ...

上野国 ・ 鷹留城

日曜早朝、高崎松山城を目指したものの、山道が隘路過ぎて途中で断念。隣の鷹留城にやって来た。こちらは農免道路(通称:フルーツライン)から入ったところに駐車できた。デジカメにSDカードが入ってなかったのでスマホで撮影。 詠の石碑がグルっと一周。  [鷹留城]1500年前後(明応年間) 長野業尚による築城とされ、1512年箕輪城築城までは長野氏の本拠となった。その後は分家の鷹留長野氏が治め、「別城一郭」と称される...

上野国 ・ 平井金山城

8時半に到着したら駐車場はほぼ満車(´-∀-`;) 標高326mで比高160m 道が狭くて、堆い枯葉・・・そこそこに峻険。写真の石垣は城郭とは無関係っぽい。  こういう山道歩いていて、前方からオークの集団がやってきたら即死する自信ある。 ここ下った先が大手門で遺構も有るらしいけれど、その気力がない。 永享10年(1438年) 長尾忠房が築城。 関東管領山内上杉氏の本拠平井城の詰め城と考えられている。 見事な山城なんだ...

上野国 ・ 麻場城

 麻場城文明年間(1469年~1487年) 白倉氏によって築かれたと云われる。この白倉氏は小幡氏一族で、上州八家のひとつに数えられた山内上杉家の重臣。永録6年(1563年)白倉宗任は武田家に降ったものの、武田滅亡後は織田家傘下。本能寺の変以降はお約束で北条家に属した。 小田原征伐に際して、白倉重家は小田原城に籠り、重家の弟重高が麻場城を守ったものの、衆寡敵せず北国勢に攻め落とされた。北条氏滅亡後の白倉氏動向は不明。...

上野国 ・ 根小屋城

本日予約投稿です。愛媛戦は気力が有ったら明日アップします。 根小屋城上野を攻略した武田信玄によって、永禄11年(1568年)~同13年(1570年)に築城。茶臼山城と山名城の中間で、北方に張り出している事から、見晴台及び狼煙台として使用されたとされる。 昔の峠道なんてこんな感じだったかと。 付け城の割に土塁、堅堀はしっかり整備。 ここには佐久望月城から望月甚八郎、および伴野助十郎、仁科加賀守信盛が守将として入...

上野国 ・ 山名城

 上野三碑/山上碑駐車場は大混雑。その山上碑+古墳脇山道へ。 応永2年(1395年)、当時尹良親王の拠っていた寺尾城(寺尾中城)の東南城塁として、山名氏によって築かれた。新田義重の子義範を祖とする山名氏は8代にわたってここを居城としたという。時氏の時、足利尊氏に従って諸国を転戦、子氏清の時「六分の一殿」と呼ばれるまで飛躍することになる。戦国時代は土豪木部氏の居城。1563年に武田信玄に攻略された以降は...

上野国 ・ 茶臼山城

 諸事情で寺尾中城攻略を断念して、やって来たのは寺尾茶臼山城。団地入り口の突き当りに2台分の専用駐車場が有りました。 寺尾茶臼山城 標高170メートル比高90メートル築城年代は不明。応永4年(1397年)に尹良親王が寺尾城に籠もった際の砦という伝承。室町時代中期の正長年間に和田小太郎が再築したと云われる。また鎌倉時代は新田義重の居城。南北朝時代には新田義貞の弟、脇屋義助が居城とした説も有る。1568...

上野国 ・ 白井城

早朝、佐久を出立して渋川市へ。白井城永享年間(1429年~1441年) 山内上杉氏被官の白井長尾景仲による築城とされる。以降、戦国時代は基本的に白井長尾(上杉)家の居城に。小田原征伐で開城、当主長尾政景はこの後、上杉家家臣に。 白井藩1590年 本多康重  2万石1601年     〃    ⇒ 岡崎5万石1601年 戸田松平康長  武蔵東方1万石 ⇒ 2万石1602年     〃    ⇒下総古河2万石160...

上野三碑

高崎駅コンコースにレプリカが展示されていて気になっていた上野三碑に先々週行ってきた。飛鳥時代から奈良時代に建てられた? 彫られた? 刻まれた? 3基の石碑の事で、日本に現存する18基の内、最古の石碑群。元々、国の特別史跡に指定されていたけれど、2017年にユネスコ世界の記憶に登録されて、高崎市も気合い入れておる。 金井沢碑726年 三家氏が祖先の供養、一族繁栄を願って造立。江戸時代に発掘され、地元農民が洗濯板...

上野国・小泉城

熱帯魚通販のチャーム本店に立ち寄ったついでに立ち寄ったのが小泉城。[小泉城]1489年 富岡直光による築城。 直光は結城久朝の子で、足利成氏が古河公方になった際、邑楽郡に所領を得て館を構えた。 当初は関東管領・山内上杉氏と対峙したものの、のちに関東出兵を繰り返す上杉政虎(謙信)の支配下に。武田信玄が西上野を制圧すると、北条氏に従い武田氏と対峙した。武田滅亡後は織田配下で・・・富岡某「京都(本能寺)で何か...

上野国 ・ 上泉城と膳城

[ 上泉城 ]一色氏から出た上泉義秀が応仁の乱期に築城「剣聖」と謳われた上泉伊勢守秀綱(後の上泉武蔵守信綱)の居城。 銅像・案内板のある自治会館が二の丸部分[ 膳城 ]築城時期は15世紀中頃、上泉城と同時期らしい文明12年 佐野昌綱により落城するも、城主の善三河守は横瀬業繁の援助で帰城、以後由良氏(横瀬氏)傘下。戦国期は上野国人領主の宿命で上杉、北条、更に武田間を往ったり来たりしていたが天正8年(158...

上野国 ・ 平井城

[ 平井城 ] 永享10年(1438年) 関東管領山内上杉・5代憲実が、総社城主長尾忠房に命じて密かに築城させた。享徳3年(1454年) 鎌倉公方足利成氏が関東管領6代上杉憲忠を暗殺。             上杉房顕は平井城へ移り、以後関東管領山内上杉氏の本城となる。天文21年(1552年) 北条氏康に攻められ 28代上杉憲政は平井城を捨てて越後・長尾景虎(上杉謙信)を頼って落ち延びた。永禄3年(1560年...

上野国・太平記ワールドな反町館・江田館・新田館

金山城から下り、新田荘遺跡に含まれる旧城跡3つを回った。黄昏時なんで気が逸る(´-∀-`;)因みに新田荘遺跡は、上野国新田郡(群馬県太田市)にあった荘園新田荘に関わる遺跡。中世武士団新田氏一族の根源地で、長楽寺文書、正木文書によって文献史料の裏付けを可能とする東国の中世荘園としてのレアケース。平成12年に、新田氏遺構群の内11箇所が国の史跡に指定された。  反町館跡1330年前後に新田義貞によって築かれた...

上野国・関東山城の定説覆した金山城

 すれ違いに難儀する県道金山城址線の突き当りの駐車場に車を停めて、石段登るとそこが西城。ここから本城へ。  1469年 新田氏傍流岩松家純は京兆家と礼部家の二系統に分裂していた岩松氏を統合       重臣横瀬国繁に命じ金山城を築城。1528年 享禄の変で 横瀬泰繁・成繁父子が下剋上で岩松氏から実権を奪い、金山城主に。       横瀬から由良と改姓、最盛期には東上野を手中にして、武田・上杉・北条...

上野国・館林城址

 12月の或る日曜日、8:20に佐久を出発して館林到着が10:10。IC降りてからが割と長かった。館林市役所は二の丸に建てられていて、市役所駐車場を利用します。城沼の突出部分を利用して築かれ、秀吉の小田原征伐の際、石田三成が攻め落とせなかった要害城。  石田三成は忍城の前もダメだったのか。   広大な市役所東広場に本丸土塁が残存。復元された三の丸土橋門と内枡形 館林城室町時代から城はあったものの、本...

上野国・七日市陣屋

県立富岡高校の敷地内。ここもカーナビが学校手前左折指示したから従ったら笑えないレベルで狭かった。七日市陣屋1616年立藩した七日市藩の陣屋(1万石)藩祖は前田利家五男の利孝。生母と共に人質として江戸に。転封されることなく12代で維新を迎えたが、大阪城番等歴任。当然貧乏藩で本家加賀藩からの援助で何とかなったそうで。 毎日、生徒さんが掃除して下さってるんですよね。この後、後関城の麓まで行ったものの日没...

上野国・安中城跡

安中城跡&安中藩1559年 安中忠政によって築城。1564年 安中忠政の子忠成は武田氏に降伏。所領を安堵され安中城主。       父忠政は松井田城に籠って防戦し自刃。1575年 長篠の合戦で一族郎党殆ど討死して安中城は廃城。       中々、大変な一族ね。 1614年 井伊直勝(井伊直政長男) 彦根30万石➡安中3万石 安中城を再築城。直勝は諸事情あって彦根を継げなかった(´;ω;`)1...

前橋(厩橋)城

コストコ行く前に、ちょいと群馬県庁まで・・・御多分に漏れず、ここも元々は城跡 ほとんど原型を留めていない前橋城。群馬県庁北側に子の門跡から高土塁。北側の前橋公園内に土塁と砲台跡市役所北側に車橋門の石垣が残存。  関ケ原後、酒井重忠が厩橋藩3万3千石でやって来た。彼によって再築された前橋城は、旧城の三の丸を本丸としてこの時代としては最先端城郭だった。凄く気になる。    ...

上野国・小幡陣屋

寛永6年(1629年)織田信昌によって築かれた。ここで小幡藩を・・・1590年 家康関東移封で娘婿・奥平信昌が3万石でに入封。1601年 奥平信昌  美濃加納藩10万石に加増移封1601年 水野忠清  1万石1615年 水野忠清  三河刈谷2万石に加増移封   1615年 織田信雄に大和宇陀3万石に加え上野甘楽郡2万石加増       信雄はこれを四男信良に分封、小幡藩を立藩       織田信長孫なので国...

上野国・吉井陣屋

260メートルの高低差を下ってきて上信電鉄吉井駅の手前まで来た。吉井陣屋は郷土資料館に陣屋表門が残るのみ。後北条の時代は重臣松田康秀の所領1592年 徳川家康が関東転封後、菅沼定利が二万石でやって来た。1610年 菅沼忠政 美濃加納6万石移封1610年~1682年 天領・旗本領1682年 堀田正休 1万石再立藩1698年   〃    近江宮川藩1万3千石移封1698年~1709年 天領・旗本領1...