category: 上野国  1/3

上野国 ・ 鷹留城

日曜早朝、高崎松山城を目指したものの、山道が隘路過ぎて途中で断念。隣の鷹留城にやって来た。こちらは農免道路(通称:フルーツライン)から入ったところに駐車できた。デジカメにSDカードが入ってなかったのでスマホで撮影。 詠の石碑がグルっと一周。  [鷹留城]1500年前後(明応年間) 長野業尚による築城とされ、1512年箕輪城築城までは長野氏の本拠となった。その後は分家の鷹留長野氏が治め、「別城一郭」と称される...

上野国 ・ 平井金山城

8時半に到着したら駐車場はほぼ満車(´-∀-`;) 標高326mで比高160m 道が狭くて、堆い枯葉・・・そこそこに峻険。写真の石垣は城郭とは無関係っぽい。  こういう山道歩いていて、前方からオークの集団がやってきたら即死する自信ある。 ここ下った先が大手門で遺構も有るらしいけれど、その気力がない。 永享10年(1438年) 長尾忠房が築城。 関東管領山内上杉氏の本拠平井城の詰め城と考えられている。 見事な山城なんだ...

上野国 ・ 麻場城

 麻場城文明年間(1469年~1487年) 白倉氏によって築かれたと云われる。この白倉氏は小幡氏一族で、上州八家のひとつに数えられた山内上杉家の重臣。永録6年(1563年)白倉宗任は武田家に降ったものの、武田滅亡後は織田家傘下。本能寺の変以降はお約束で北条家に属した。 小田原征伐に際して、白倉重家は小田原城に籠り、重家の弟重高が麻場城を守ったものの、衆寡敵せず北国勢に攻め落とされた。北条氏滅亡後の白倉氏動向は不明。...

上野国 ・ 根小屋城

本日予約投稿です。愛媛戦は気力が有ったら明日アップします。 根小屋城上野を攻略した武田信玄によって、永禄11年(1568年)~同13年(1570年)に築城。茶臼山城と山名城の中間で、北方に張り出している事から、見晴台及び狼煙台として使用されたとされる。 昔の峠道なんてこんな感じだったかと。 付け城の割に土塁、堅堀はしっかり整備。 ここには佐久望月城から望月甚八郎、および伴野助十郎、仁科加賀守信盛が守将として入...

上野国 ・ 山名城

 上野三碑/山上碑駐車場は大混雑。その山上碑+古墳脇山道へ。 応永2年(1395年)、当時尹良親王の拠っていた寺尾城(寺尾中城)の東南城塁として、山名氏によって築かれた。新田義重の子義範を祖とする山名氏は8代にわたってここを居城としたという。時氏の時、足利尊氏に従って諸国を転戦、子氏清の時「六分の一殿」と呼ばれるまで飛躍することになる。戦国時代は土豪木部氏の居城。1563年に武田信玄に攻略された以降は...

上野国 ・ 茶臼山城

 諸事情で寺尾中城攻略を断念して、やって来たのは寺尾茶臼山城。団地入り口の突き当りに2台分の専用駐車場が有りました。 寺尾茶臼山城 標高170メートル比高90メートル築城年代は不明。応永4年(1397年)に尹良親王が寺尾城に籠もった際の砦という伝承。室町時代中期の正長年間に和田小太郎が再築したと云われる。また鎌倉時代は新田義重の居城。南北朝時代には新田義貞の弟、脇屋義助が居城とした説も有る。1568...

上野国 ・ 白井城

早朝、佐久を出立して渋川市へ。白井城永享年間(1429年~1441年) 山内上杉氏被官の白井長尾景仲による築城とされる。以降、戦国時代は基本的に白井長尾(上杉)家の居城に。小田原征伐で開城、当主長尾政景はこの後、上杉家家臣に。 白井藩1590年 本多康重  2万石1601年     〃    ⇒ 岡崎5万石1601年 戸田松平康長  武蔵東方1万石 ⇒ 2万石1602年     〃    ⇒下総古河2万石160...

上野三碑

高崎駅コンコースにレプリカが展示されていて気になっていた上野三碑に先々週行ってきた。飛鳥時代から奈良時代に建てられた? 彫られた? 刻まれた? 3基の石碑の事で、日本に現存する18基の内、最古の石碑群。元々、国の特別史跡に指定されていたけれど、2017年にユネスコ世界の記憶に登録されて、高崎市も気合い入れておる。 金井沢碑726年 三家氏が祖先の供養、一族繁栄を願って造立。江戸時代に発掘され、地元農民が洗濯板...

上野国・小泉城

熱帯魚通販のチャーム本店に立ち寄ったついでに立ち寄ったのが小泉城。[小泉城]1489年 富岡直光による築城。 直光は結城久朝の子で、足利成氏が古河公方になった際、邑楽郡に所領を得て館を構えた。 当初は関東管領・山内上杉氏と対峙したものの、のちに関東出兵を繰り返す上杉政虎(謙信)の支配下に。武田信玄が西上野を制圧すると、北条氏に従い武田氏と対峙した。武田滅亡後は織田配下で・・・富岡某「京都(本能寺)で何か...

上野国 ・ 上泉城と膳城

[ 上泉城 ]一色氏から出た上泉義秀が応仁の乱期に築城「剣聖」と謳われた上泉伊勢守秀綱(後の上泉武蔵守信綱)の居城。 銅像・案内板のある自治会館が二の丸部分[ 膳城 ]築城時期は15世紀中頃、上泉城と同時期らしい文明12年 佐野昌綱により落城するも、城主の善三河守は横瀬業繁の援助で帰城、以後由良氏(横瀬氏)傘下。戦国期は上野国人領主の宿命で上杉、北条、更に武田間を往ったり来たりしていたが天正8年(158...