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category: 上野国  1/2

上野国 ・ 伊勢崎陣屋

[伊勢崎陣屋]1601年(慶長6年) 稲垣長茂  勢多3000石  → 1万石  伊勢崎藩立藩  陣屋建築1616年(元和2年) 稲垣重綱            → 越後藤井2万石             伊勢崎藩領は前橋藩に編入1681年(天和1年) 酒井忠寛   分知2万石 伊勢崎藩              以降9代で維新建造物は同聚院山門として移築された陣屋武家門が現存。...

妙義神社~大の字~奥の院~見晴

GW中、唯一の完全休み5日に訪れたのは妙義山神社。奥の院まで行く予定。高さ12メートルの朱色の総門は関東随一男坂一六五階段の先に隋神門建造物の配置だったり、塀の高さ見るにつけ城郭じゃんね。唐門の先が本殿正規の登山道は倒木で通行禁止、迂回路を歩く事10分弱で忽ち岩場の登山道に。大の字手前は中々の鎖場です。大の字到着。先行していた全力爽やか青年と暫し談笑。ここまでは群馬県グレーティングC-2ですね。奥の院に到...

佛光山法水寺

如何にも"アジア"な仏像・・・・・ここ台湾と云われたら納得する写真ですよね。階段上り切って振り返ると絶景。渋川市街地の向こうに赤城山。因みに標高700メートル。[佛光山法水寺]正式名称は臨済宗佛光山法水寺台湾高雄に本山を置き、台湾仏教の五座山の一つに数えられる。現在、信者数は世界中に300万人を誇り、この法水寺は日本の本山として建立された。宗派関係なく参拝ウエルカムで、行った時の賑やかさはコンサート終...

柳沢城 + 観音山不動滝

[柳沢城]築城年代等は全く不明。まぁ、南北朝期ならば岩櫃城主吾妻氏、それ以降ならば斎藤氏と考えるのが順当。登り口から完全に修験道(笑)左下が有名な奇岩「象ヶ鼻」山頂/主郭まで15分程で到着。反対側に下ると二の郭以下だと思われる。眺望は抜群下って、観音不動滝へ。 ...

潜龍院

[潜龍院]天正10年(1582年) 真田昌幸による築城。甲府から逃れる事になった勝頼を迎えるために築いたものの、勝頼は天目山で自刃して使われることはなかった。その後、御殿は昌幸の一族・根津潜龍斎が拝領、巌下山潜龍院という寺院となり明治まで続いた。石垣のみが現存。背後は天然要害の岩櫃山 / 土塁(墓地)の向こうが郷原城だと思います。...

岩櫃山

6:30に自宅出立して8:10に到着したのは"ぐんま百名山"の岩櫃城。中腹に真田丸で有名な岩櫃城が築かれてます。今回は古谷登山口に駐車。先客ゼロ行きはグレーティング2C・密岩コースを選択まぁ、完全に修行っすわ。一昨年、ジム通い始めてから、"どM"自覚し出した俺ちゃん。密岩入口から標準時間45分ジャストで山頂に。別ルートからの先客5名。眺望は半端ない!晴天ならば富士山も見えるとか下山は赤岩ルートで。距離が短...

一之宮貫前神社

長厳寺からやってきたのは上野国の守護神・一之宮貫前神社 石段をを登り切ると総鳥居。既に映えます。総門抜けたら階段下る!総門より低地に社殿が有るのは日本中でここだけ・・・・・なのか?総門右手の樹木は通称・蛙の木楼門は国重要文化財社殿本殿は単層二階建てで、これが"貫前造り"と呼ばれている。...

長厳寺 磨崖仏

G W 何 し ま す ?南牧村・黄檗宗の黒滝山不動寺から、甘楽町・天台宗の長厳寺へ。磨崖仏のメッカ・甘楽町で、日本最大級の磨崖仏があるのが長厳寺。本堂脇の遊歩道を上る事、数分・・・・・顔だけ!実は昭和60年の完成と若い磨崖仏!折角なんで頂上まで歩いてみた。六尺観音を筆頭に所々に石仏が鎮座しているので飽きる事はないけれど、立ち止まっての挨拶する性格なんでまぁ時間かかった(笑)。 ...

黒滝山不動寺~観音岩

日曜日、2週続けて上州へ。やって来たのは南牧村・黒滝山不動寺(黄檗宗)駐車場からが結構辛い上り坂です。”この梵鐘には戦艦陸奥の羅針盤が合鋳されています。世界平和と災害のない世の中を念じてお撞き下さい。”マジか!1943年に主砲火薬庫爆発によって沈没した戦艦陸奥は、1970年にサルベージされて、その後解体された装備品は日本中の博物館で展示されているとの事。観音岩で聴こえた音色は山間に響いて素晴らしかった。"黒滝山...

中之嶽神社に行ってきた

早朝6:20に佐久を出立して、内山峠を越えて上州へ。下仁田から妙義山方面へ上ってやって来たのは中之嶽神社。所要時間は50分位で、駐車場に20台程停まってて、本格的装備の皆様ばっかり。2時間後に戻ってきたらかなり混雑していた。鳥居の先は中之嶽大国神社 剣を持つタイプの大黒様で、福を招くだけで無く、災いを祓ってくれる。 / 日本最大の大黒様 高さ20m、重さ8.5t拝殿まで階段が長いしキツい / 大黒様を横から...

上野國 ・ 子王山城

行きはナビが案内するまま平井城/平井金山城を通過する日野(県道175号線)→下日野神田線(県道176号).ルート。これが大大失敗で、集落終点からみはらし茶屋までの林道は荒れ放題。エクストレイル4WDモードで何とか通過できました。 帰路の高山社側の176号線は快適の一言。これから行かれる方は、まずは「高山社(世界遺産)」で入力して終点まで行くのが正解です。二千階段というのはみはらし茶屋側と、かあちゃん茶屋側の...

上野國 ・ 大胡城

[大胡城]鎌倉初期には大胡氏が当地に勢力を張っていたとされるが大胡城を築いたかは不明。戦国中期、大胡氏は上野を捨てて、後北条氏傘下して武蔵・牛込城に入っていた。大胡城には同じ大胡氏傍流が入ったものの、その後は上杉謙信に攻め落とされ、配下の北条高広が城主に。そこから後北条氏滅亡まではごちゃごちゃ。1590年 徳川家康が関東移封されると、牧野康成が2万石で入城。1616年 牧野康成 越後長峰5万石移封 ...

上野国 ・ 箕輪城(再訪)

5年振り2度目の箕輪城、今回は大手虎韜門から登城堀切登っていくと・・・・復元された郭馬出西虎口門これだけだと変に浮いてる感じなんだな。一度降ってから鍛冶曲輪へ。三の丸石垣。この先、何処まで復元します ?      ...

上野国 ・ 鷹留城

日曜早朝、高崎松山城を目指したものの、山道が隘路過ぎて途中で断念。隣の鷹留城にやって来た。こちらは農免道路(通称:フルーツライン)から入ったところに駐車できた。デジカメにSDカードが入ってなかったのでスマホで撮影。 詠の石碑がグルっと一周。  [鷹留城]1500年前後(明応年間) 長野業尚による築城とされ、1512年箕輪城築城までは長野氏の本拠となった。その後は分家の鷹留長野氏が治め、「別城一郭」と称される...

上野国 ・ 平井金山城

8時半に到着したら駐車場はほぼ満車(´-∀-`;) 標高326mで比高160m 道が狭くて、堆い枯葉・・・そこそこに峻険。写真の石垣は城郭とは無関係っぽい。  こういう山道歩いていて、前方からオークの集団がやってきたら即死する自信ある。 ここ下った先が大手門で遺構も有るらしいけれど、その気力がない。 永享10年(1438年) 長尾忠房が築城。 関東管領山内上杉氏の本拠平井城の詰め城と考えられている。 見事な山城なんだ...

上野国 ・ 麻場城

 麻場城文明年間(1469年~1487年) 白倉氏によって築かれたと云われる。この白倉氏は小幡氏一族で、上州八家のひとつに数えられた山内上杉家の重臣。永録6年(1563年)白倉宗任は武田家に降ったものの、武田滅亡後は織田家傘下。本能寺の変以降はお約束で北条家に属した。 小田原征伐に際して、白倉重家は小田原城に籠り、重家の弟重高が麻場城を守ったものの、衆寡敵せず北国勢に攻め落とされた。北条氏滅亡後の白倉氏動向は不明。...

上野国 ・ 根小屋城

本日予約投稿です。愛媛戦は気力が有ったら明日アップします。 根小屋城上野を攻略した武田信玄によって、永禄11年(1568年)~同13年(1570年)に築城。茶臼山城と山名城の中間で、北方に張り出している事から、見晴台及び狼煙台として使用されたとされる。 昔の峠道なんてこんな感じだったかと。 付け城の割に土塁、堅堀はしっかり整備。 ここには佐久望月城から望月甚八郎、および伴野助十郎、仁科加賀守信盛が守将として入...

上野国 ・ 山名城

 上野三碑/山上碑駐車場は大混雑。その山上碑+古墳脇山道へ。 応永2年(1395年)、当時尹良親王の拠っていた寺尾城(寺尾中城)の東南城塁として、山名氏によって築かれた。新田義重の子義範を祖とする山名氏は8代にわたってここを居城としたという。時氏の時、足利尊氏に従って諸国を転戦、子氏清の時「六分の一殿」と呼ばれるまで飛躍することになる。戦国時代は土豪木部氏の居城。1563年に武田信玄に攻略された以降は...

上野国 ・ 茶臼山城

 諸事情で寺尾中城攻略を断念して、やって来たのは寺尾茶臼山城。団地入り口の突き当りに2台分の専用駐車場が有りました。 寺尾茶臼山城 標高170メートル比高90メートル築城年代は不明。応永4年(1397年)に尹良親王が寺尾城に籠もった際の砦という伝承。室町時代中期の正長年間に和田小太郎が再築したと云われる。また鎌倉時代は新田義重の居城。南北朝時代には新田義貞の弟、脇屋義助が居城とした説も有る。1568...

上野国 ・ 白井城

早朝、佐久を出立して渋川市へ。白井城永享年間(1429年~1441年) 山内上杉氏被官の白井長尾景仲による築城とされる。以降、戦国時代は基本的に白井長尾(上杉)家の居城に。小田原征伐で開城、当主長尾政景はこの後、上杉家家臣に。 白井藩1590年 本多康重  2万石1601年     〃    ⇒ 岡崎5万石1601年 戸田松平康長  武蔵東方1万石 ⇒ 2万石1602年     〃    ⇒下総古河2万石160...