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category: 旅行記~北陸を往く  1/1

北陸から往く‐20 美濃金山城

[ 美濃金山城 ]  国史跡・続日本100名城(143番) 蘭丸広場森蘭丸はこの城で生まれ、信長に出仕する13歳までを過ごした。 この下が坊丸広場 1537年 斎藤正義が築城し、烏峰城と名付ける       この斎藤正義は近衛前久の庶兄で斎藤道三の養子と云う複雑な経歴の人物。1565年 美濃が織田領となり森可成が城主に。この時兼山城と改称。 1570年 近江宇佐山城の戦いで可成が戦死。       その直...

北陸から往く-19 郡上八幡城

[ 郡上八幡城 ]  (続日本100名城-141番)何故にこの銅像?・・・・・千代は郡上八幡始祖遠藤盛数の娘なのね。   運転に自信のない方にはお勧めしない山頂駐車場への隘路戦国期の郡上地方は東氏支配の地。東氏衰退後も同族の遠藤氏が支配した。遠藤氏の当地に対する拘りは半端なかった。 東氏の居城は吉田川対岸にある赤谷山城1559年 東氏は遠藤盛数により滅ぼされたが、その際、砦を築いたのが郡上八幡城の起源。...

北陸を往く-18 越前の小京都大野はモノクロが似合う街

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北陸を往く-17 大野城下を歩く / 弐

義景墓所一乗谷から逃れた義景一行が逃れたのが大野賢松寺ここで身内の朝倉景鏡に裏切られて自刃。武田家と同じ末路。 義景清水 観察したけど魚確認できず亥井城址1339年 南朝方の堀口兵部大輔氏政以下500騎が亥山城を構えていた(by太平記)戦国期は朝倉景鏡の領地として大野郡の支配拠点に。1574年 朝倉景鏡は一向一揆で討死。 この堀が遺構と云うお話    ...

北陸を往く-16 大野城下を歩く / 壱

越前おおの結ステーションこちらで車中泊 パン屋さんパナデリア ・・・ 朝食で食べたパン3個、全てが美味しかった。 芹川清水・・・起きてがぶ飲み、下城してがぶ飲み柳廼社 ・・・幕末近代化に貢献した内山兄弟の碑(記憶曖昧) 御清水・・・かつては殿様専用。 「雨止んだ?」 突然洗濯してたお婆ちゃんに話し掛けられてビビった。越前大野城ライトアップ    ...

北陸を往く-15 越前大野城

[越前大野城] 続日本100名城-第138番 柳廼社奥の南門から入城 4代土井利忠公 / 初代城主金森長近 この石垣は遺構1575年 越前国大野郡3万石を与えられた金森長近が翌年、居城とした戌山城の近くの亀山に城郭を築き始めたのが越前大野城。1575-1586 金森長近1586      長谷川秀一1587-1599 青木一矩1599      織田秀雄1600      結城秀康大野藩1624年 松平直...

北陸を往く-14 吉崎御坊

本日は埼玉県内の城郭探索につき予約投稿。G大阪戦は明日アップします。詳細レポートはにほんブログ村/サッカー/ヴァンフォーレ甲府/にほんブログ村/サッカー/ガンバ大阪それぞれご参照下さい。蓮如上人記念館文明3年(1471年)に比叡山延暦寺など迫害から逃れた本願寺第8代法主蓮如によって建立。浄土真宗の北陸布教の拠点となり、吉崎には寺内町が形成された。 文明 7年(1475年) 蓮如は吉崎を退去して河内出口へ...

北陸を往く-13 大聖寺城

[大聖寺城] 錦城山(70メートル)に立地苦笑する案件 時代は古く、鎌倉時代に狩野氏よって築かれ、その居城に。1335年 中先代の乱で挙兵した北条傍流名越時兼が越中より南下してきた際、狩野一党が大聖寺城で迎撃したと云う1337年 新田義貞側の敷地伊豆守、山岸新左衛門らが津葉清文の守る大聖寺城を攻略している戦国時代になると御多分に漏れず一向一揆の拠点。1555年 朝倉宗滴の加賀侵攻で陥落1567年 一...

北陸を往く-12 小松城とコマツ

[ 小松城 ] 鳥越/二曲から一本道30分で小松市内へ。1576年 加賀一向一揆方の若林長門守によって築城1579年 柴田勝家によって落城。村上義清次男義明が入城。1598年  村上義明は越後村上9万石転出。       丹羽長重が12万石で入城。1600年 西軍に組した丹羽長重は改易。       前田利長の所領となり、前田長種が2万石で入城。1615年  一国一城令により廃城。 1639年 2代藩主前...

北陸を往く-11 ゛何て読むんだ゛二曲城

二曲城  (ふとげじょう/鳥越城付帯として国史跡) 隣接した三の丸と二の丸。鳥越城二曲城の真下に「道の駅 一向一揆の里」 こちらで昼食。    ...

北陸を往く-10 ゛百姓の持ちたる・・・゛鳥越城

鳥越城 国指定史跡 続日本100名城(136番) 和田山城から30分弱、キツメのカーブとトンネルを抜けると一気に山間部に。 標高312メートル 比高150メートル゛百姓の持ちたる国゛の最期は・・・1573年 加賀一向一揆討滅の最中、門徒集団である山内衆の抵抗拠点として築城。城主は白山麓山内惣庄の旗本鈴木出羽守。彼は雑賀党の出身、孫市の従兄弟と云われる。1580年 柴田勝家軍によって落城、吉原次郎兵衛の管理...

北陸を往く-9 和田山城

[ 和田山城 ] (国史跡/和田山・末寺山古墳群) 歴史民俗資料館に駐車して登城   城の前に、40数基の古墳巡り。城は和田山古墳群のある和田山の南側部分。 本丸は北面から東に向かって土塁があり、櫓台は9号古墳を利用。 二の丸も北面から東面に向かって土塁で、北の先端部分に櫓台。 本丸の東側から二の丸の北側まで空堀。 1506年 和田坊超勝寺によって築かれた。 1531年 加賀一向一揆の主導権争いから勃発し...

北陸を往く-8 小丸山城

[ 小丸山城 ] (1582-1615)前田利家松子之像  相撲のメッカだけに土俵が整備されておる!1581年 越前国府中より 能登一国を領して七尾城に入った。1582年 利家は山城である七尾城より港に近く利便性を優先して新城建築に着手した。これが小丸山城である。1583年 利家は加賀国石川郡河北郡を加増、尾上城(後の金沢城)へと移り、小丸山城には兄の前田安勝を置いた。まぁ目まぐるしい事で。 1615年 一国一城...

北陸を往く-7 七尾城

[ 七尾城 ] 日本100名城(34番)16日5時に起床すると外は激しい雨。外に出るのも躊躇するレベルなので、このまま氷見から30分弱の七尾城へ向かう事に。 北上すること25㌔で七尾市内に入ると、直前まで相当雨が降っていた事が伺える路上の水たまり。中腹の駐車場までの山道は言われている程の険路では無かった。ウッドチップが敷き詰められた舗道は怪我人にはありがたい。 「おぉっ!」歩き出して、僅か数分で調...

北陸を往く-6 道の駅氷見の猫

結構いたけれど撮れたのは数匹で。    ...

北陸を往く-5 道の駅氷見

   高岡城から30分程で゛車中泊のメッカ゛道の駅氷見に到着。時計は18時過ぎ。周囲の車(ミニバンからSUVから軽まで)が車中泊の準備にいそしむ中、俺ちゃんも取り掛かります。カスタマイズした車は凄いね。お隣の「氷見温泉郷総湯」でゆったりまったりして、「廻鮮 氷見前寿司」へ。入店の時点で仕入れたネタの三割が終わってると云うお話。ならばと、残り少ないお薦めばかり食べてたもんだから会計で・・・・・・ウワ...

北陸を往く-4 高岡城

三の丸横から入城朝陽橋を渡って本丸へ。1605年、富山城焼失に伴って、1609年に築城されたものの1615年の一国一城令で棄却された。小松城築城の交換条件としての高岡城棄却。しかし完全に棄却した訳ではなく、東の最前線魚津城への兵站基地として最低限の軍事機能は残したとされる。ここが3代目利常(利家四男)の凄かったところ。幕府に従順する一方で有事の備えは怠らなかった。二代前田利長像縄張りをした高山右近...

北陸を往く‐3 安田城

安田城(国指定史跡)増山城から高岡城へ行くルートから、少し外れて訪れたのが安田城。 1585年、佐々成政攻めの際、本陣となった白鳥城の支城として築城、慶長年間には廃城と云うから僅か10数年存在しただけ。最小限の兵站拠点的な存在だったと思う。それなのに国指定史跡となったのは、改変皆無で初期型のまま残存していたから。棄却当時、地元百姓からしてみれば田圃にしたかったでしょうに。  土塁を縦切りにした展示...

北陸を往く-2 増山城

増山城 続100名城(135番) トイレ併設の休憩所、増山陣屋でパンフレット入手。室内に続100名城認定証が掲示されていた。 和田川ダム堰堤を直進2010年設置の冠木門      V字の谷底の先に゜F郭゛、そして背後に゛馬之背ゴ゛勇猛果敢に攻めようにも、ここで斉射の餌食になる訳。富山県内の城郭では最大の縄張りで、上杉謙信に都合3回攻められてる。因みに謙信の祖父長尾能景は増山城近辺で討死していて、ある意味因縁深...

北陸を往く -クルマでGO 

4月、[100名城]に続いて[続100名城]が制定されました。その[続100名城]で特筆なのが自動車でなければ行けない城郭が多いという事。そこで先週末の3連休、初めて車中泊による旅行を計画しました。車中泊荷物一式土曜日は午前11時まで仕事だったので、とりあえず詰め込めるだけ詰め込んで車に乗せた感じ。膨らませたマットはアマゾンで、フロントシェードはダイソーで、サイドシェードは100均材料で自作した。...